北川桃雄
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- 出生から修学期
1899年、東京都港区で生まれた。旧制芝中学を経て[1]、旧制第二高等学校で学んだ。1921年に卒業し、京都帝国大学経済学部に進学。1924年に卒業。
- 教員時代
卒業後は、奈良県立五條中学校(現奈良県立五條高等学校)の英語科教諭として勤務。同年8月に笠井ふぢと結婚。その後京都市立第一工業学校教師に転じた。同校での同僚には下村寅太郎、田中忠雄らがいた。
1937年8月13日、北川の参加する文芸雑誌『リアル』がコミンテルンと通じているとの嫌疑で、工業学校の同僚・田中忠雄[2]らとともに治安維持法違反で検挙された。
翌1938年東京に転居し、志賀直哉の勧めで東京帝国大学文学部美学美術史学科に入学。在学中1940年に鈴木大拙の英文著作「禅と日本文化」を訳し、1941年に42歳で卒業。1942年、共立女子専門学校講師に就いた。
- 戦後
1949年に同大学教授に昇格。1949年に美術ペンクラブが発足した際には参加。1956年、北京で雪舟記念式典が再際された際には日中友好協会を経て招聘され、日本画家の山口蓬春、橋本明治と共に訪中[3]。1969年に血清肝炎のため東京都で死去。