北町一郎

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北町 一郎(きたまち いちろう、明治40年(1907年3月7日 - 平成2年(1990年9月4日)は、日本小説家

新潟県中蒲原郡小須戸町(現新潟市小向生まれ[1][2][3]福島高等商業学校(現福島大学特待生を経て[4]、1932年に東京商科大学(現一橋大学)卒業後[1]婦女界社に入社[1]記者[2][5]婦女界編集長を務めた[6][1]

1935年に「賞与日前後」でサンデー毎日大衆文芸入選[7]小説家として活動し[7]太平洋戦争中は大日本帝国陸軍報道班員としてスマトラ島で従軍取材を行い[8]昭南新聞マレー語版の編集責任者を務めた[9]

1948年に「健康教室」を創刊し78歳まで編集長を務めたほか[8]、婦女界編集顧問[10]文部省嘱託日本学校衛生会主事[11]日本文芸著作権保護同盟理事などを務めた[12]。1979年日本児童文芸家協会児童文化功労者[13]。1990年心不全のため死去[7]

本名会田 毅[2]。別名簇劉 一郎[1]。ペンネームの北町は、学生時代に福島市北町に住んでいたことに由来する[14]

著書

脚注

関連項目

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