北趙晋侯墓地
From Wikipedia, the free encyclopedia
1992年から1994年にかけての5度にわたる発掘で、17基の大墓が確認された。そのうち晋侯の墓が8基、晋侯夫人の墓が9基である。これらは8組の夫婦並穴合葬墓であり、そのうち1組だけが1侯2夫人から成っていた[1]。墓の年代は9号墓と13号墓が最も古く、西周の穆王期に属する。最も新しいのが93号墓と102号墓であり、春秋時代の初期にあたる[2]。
- 9号墓と13号墓
9号墓は被葬者が男性で、青銅器・玉器などのほか、馬車7台が出土した。13号墓の被葬者は女性で、遺体の頭部には髪を束ねる玉管、胸部には胸飾り2点、腹部や足元には宝貝や玉器が置かれていた[3]。
- 6号墓と7号墓
盗掘が激しく、副葬品は残されていなかった[3]。
- 32号墓と33号墓
両墓とも盗掘されていたが、とくに32号墓が激しく荒らされていた。「晋侯僰馬」の銘文をもつ青銅製の方形壺が出土した[4]。
- 91号墓と92号墓
91号墓は被葬者が男性で、「晋侯僰馬」や「晋侯喜父」の銘文をもつ青銅器などが出土した。92号墓は被葬者が女性で、「晋侯對」の銘文をもつ鼎や「晋侯僰馬」の銘文をもつ円形壺、「晋侯喜父」の銘文をもつ盤などが出土した。玉器は4000点におよび、玉をつづった2点のマスクが注目される[5]。
- 1号墓と2号墓
両墓とも盗掘されていた。1号墓の被葬者は男性で、2号墓の被葬者は女性であった[6]。
- 8号墓と31号墓
8号墓は被葬者が男性で、「晋侯穌」の銘文をもつ鼎や「晋侯(𦣝匹)」の銘文をもつ壺などが出土した。31号墓は被葬者が女性で、青銅器・土器・玉器など1000点以上が出土した[7]。
- 64号墓と62号墓と63号墓
64号墓は被葬者が男性で、「晋侯邦父」の銘文をもつ鼎や「楚公逆」にかかわる68字の銘文を鋳込んだ編鐘などが出土した。62号墓は被葬者が女性で、青銅器や玉製マスクなど600点以上が出土した。63号墓も被葬者が女性で、「楊姞」の銘文をもつ方壺がみられた[8]。
- 93号墓と102号墓
93号墓は被葬者が男性で、「晋侯家父」の銘文をもつ方形壺などが出土した。102号墓は17基のうち唯一墓道が設けられていなかった[9]。
脚注
参考文献
- 黄石林、朱乃誠『中国文化史ライブラリー 中国考古の重要発見』高木智見訳、日本エディタースクール出版部、2003年。ISBN 4-88888-330-0。
- 飯島武次『中国考古学のてびき』同成社、2015年。ISBN 978-4-88621-706-6。