十五円五十銭
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外見上では区別できない日本人と朝鮮人を識別する方法であった。1913年に内務省警保局が配布した「朝鮮人識別資料ニ関スル件」という文書には、朝鮮人は発音には濁音が苦手で、ガギグゲゴは最も困難とある。外見は日本人と異ならないとされた上で小さな違いが記されているものの、発音上の違いははっきりと異なる部分が見られるように記されていた。このことから十五円五十銭と言わせてみればはっきりと発音できないことから朝鮮人であるということを識別するというものであった[1]。
1919年に三・一運動が発生してから、朝鮮総督府は武断政治から文化政治へと改めることで朝鮮人の抵抗心を押さえ込もうとした一方で、不逞鮮人を追及することは緩めず、このために用いられた方法であった。この時期の日本は好況であったものの、労働力不足に悩んでいた。このため安価な労働力である朝鮮人に着目された。1919年の三・一運動が起きてから1922年までは朝鮮から日本への渡航制限がかけられたが、それ以降は日本に渡る朝鮮人は増加していった。だが治安当局は不逞鮮人の取り締まりは緩めておらず、不況になれば失業した朝鮮人が労働運動に身を投じて社会主義者と結びつくことを恐れたため警戒は一層強められていった。このことから日本人と朝鮮人を識別する必要が生じて、十五円五十銭などが用いられるようになった[1]。