十手舞

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十手舞』(じってまい)は、1986年に公開された日本の時代劇映画[2]松竹=五社プロダクション=映像京都製作、松竹配給[3]。主演・石原真理子[4]、監督五社英雄。『週刊サンケイ』(現『SPA!』)連載の五社英雄、森幸太郎原作の劇画の映画化で、影十手となって悪を闇から闇に葬る女性の姿を描く[2][5]

スタッフ

キャスト

オープニングクレジット

製作

企画

1982年に五社が演出した「時代劇スペシャル」『丹下左膳 剣風!百万両の壺』(フジテレビ)の後、古田求が脚本を書いた『十手花』という企画が挙がり、ヒロインを五社がNHK朝ドラまんさくの花』(1981年)でヒロインを演じた中村明美を起用しようとした[6]。しかし岡田太郎ゼネラルプロデューサーが、岩下志麻を推して企画が結局流れ、その後同企画が再び浮上し、タイトルが変更されて映画化されたのが本作となる[6]

演出・キャスティング

時代劇アクションを演出させれば天下一品の五社英雄が、自身の原作を古田求に脚色させ、豪華過ぎる俳優陣を揃え、まさに順風満帆な船出であった[7]。しかし唯一の不安材料は主役の石原真理子であった[7]。1985年の『』に起用した石原の凛々しく男らしい眉毛に魅入られ「彼女にぜひ、時代劇アクションを演らせてみたい」と惚れ込み、主役に抜擢した[7]。周囲から異論も出たが、外堀が圧倒的でそれは問題にはならないだろうと見られた[7]。当時の石原は芸能レポーター写真週刊誌の標的となっていた時期[8]

撮影

クランクイン早々、五社は厳しい現実にぶつかった。石原は五社が期待する「男らしい女」ではなく「女の腐ったような女」だった[7]。女々しい石原に男気を求めたが、「えーそんなことできませーん♡」と猫なで声を出す石原の根性を叩き直すことはできなかった[7]。このため中盤以降は石原はただの傍観者のようになる[7]。吊るされるシーンも壁をよじ登るシーンも弱々しい[9]。この窮状を察した夏木マリが五社の意図を充分理解し、それ以上の迫力で石原を喰った[7]

オープニングクレジットでは、石原真理子が山﨑浩子振付による新体操のリボンを使った2分8秒の舞を披露するが[7][9]、劇中ではリボンがのような武器になる[5]。これは主役なのに石原が目立たないため、何とか石原をアピールするため五社が考えた演出だった[7]。石原のリボン演技と夏木の得意とするコンテンポラリー&セクシーダンスは、ドラマの進行に関係なく劇中、何度も挿入される[7]

五社のお気に入り俳優、世良公則竹中直人の対決シーンでは、竹中が持ち芸のブルース・リーで戦う[7]。以降も竹中は徹頭徹尾ブルース・リーに徹する[7]エンドクレジット手話指導として熊谷真実が表記される[1]

興行予想

キネマ旬報』は、五社監督の前作『薄化粧』は、公開時期が冷え込みに喘いでいた1985年の10月公開で、配給収入は2億5000万円と当初の目標を大きく下回ったが[8]、本作の公開は当初1985年3月21日と決まっていて[8]、春のため、そこまでは落ち込まないのではと見ていた[8]。ただ石原が芸能ジャーナリズムを賑わせている面はパブリシティがあまり期待できないのではないかという見方もあった[8]。石原が1986年2月、玉置浩二に蹴られて腰椎骨折で入院したため[10][11]、公開が半年延び、前作『薄化粧』と同じ秋の公開になった[8]。また時代劇は当時の映画界では興行的には難しいジャンルと認識されていた[8]

作品の評価

批評

シティロード』は封切時に「ケレン味たっぷりの時代劇悪女で押しまくるマリさんのヌードを含めた小気味良さに比べて、私生活の骨折で公開延期させてしまい、ヌードも吹き替え、セリフ回しも立ち回りもイマイチの真理子クンではハナっから勝負にならない。リボンも綿飴を回しているよう」などと評している[9]

山田誠二は「喉を切られて声を亡くした十手人が手話を使用して会話する描写は、後のトレンドを先取りしている」などと評価している[7]

脚注

外部リンク

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