千本城 (上総国) From Wikipedia, the free encyclopedia 城郭構造 山城天守構造 なし築城主 里見義実?[1]築城年 1488年(長享2年)?[1]logo千本城(千葉県)城郭構造 山城天守構造 なし築城主 里見義実?[1]築城年 1488年(長享2年)?[1]主な城主 東平安芸守[1]廃城年 1590年(天正18年)[1]遺構 主郭(一の台・二の台・三の台)、二の郭、三の郭、空堀、土塁[1]位置 北緯35度15分26秒 東経140度4分12秒 / 北緯35.25722度 東経140.07000度 / 35.25722; 140.07000座標: 北緯35度15分26秒 東経140度4分12秒 / 北緯35.25722度 東経140.07000度 / 35.25722; 140.07000地図 千本城 テンプレートを表示 千本城(せんぼんじょう)は、千葉県君津市広岡にあった日本の城。 上総松丘駅のすぐ東側にそびえる標高100〜150m[1]ほどの山にある。 久留里城の支城である。 築城については、城址跡内にある北野神社の社伝には、1488年(長享2年)に里見氏の里見義実が築城したとされるが、不明な点が多い[1]。 南房総市の延命寺に伝えられる『里見氏系図』によると、里見義弘の子、里見義重(幼名は梅王丸)の項目に「上総国千本住人 東平安芸守女」と記されており、里見氏の武将、東平安芸守がこの城に住んでおり、娘が里見義弘へ嫁いで梅王丸を生んだと推測される[1]。 『関八州古戦録』には、1578年(天正6年)5月に里見義弘が亡くなった後、里見義頼と梅王丸の間に内紛が起こり、反義頼勢力は久留里城、千本城を拠点としたとされる。戦いは義頼の勝利に終わり、梅王丸は出家させられた[1]。 その後、城は義頼の管轄下に置かれたが、小田原征伐の後の1590年(天正18年)に、里見氏は豊臣秀吉によって上総を召し上げられたため、廃城となる。 脚注 [脚注の使い方] 1 2 3 4 5 6 7 8 9 児玉幸多 監修、坪井清足 監修、大木衛、小笠原清、田代道彌『日本城郭大系 第6巻 千葉・神奈川』新人物往来社、1980年。ISBN 4404010036。 関連項目 日本の城一覧 里見氏 Related Articles