協律校尉

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協律校尉(きょうりつこうい)は、中国の3世紀から6世紀、西晋南北朝時代の南朝で、音楽をつかさどった官職である。

からの禅譲によって泰始元年(265年)に成立した西晋は、基本的に魏の制度を継承した。魏の協律都尉を改称したのが協律校尉である[1]。儀式・学問をつかさどる太常の下に属した[1]。太常の下で他に太楽令鼓吹令が音楽を扱っていたが、協律校尉との職務分担はわからない[1]

南朝のでは、太常卿の下に協律校尉と総章校尉があって音楽をつかさどった[2]。太楽令、鼓吹令があるのは変わらない[2]

南朝のでは、太建5年(573年)に儀式の手順を改めたとき、音楽演奏について協律校尉が太楽令とともに説明したという記録がある[3]

北朝に協律校尉はなく、代わりに協律郎があった。北朝の開皇9年、陳の禎明3年(583年)に、隋が陳を滅ぼして南北を統一したため、協律校尉はなくなり、協律郎が以降も続いた。

脚注

参考文献

外部リンク

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