協律都尉

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協律都尉(きょうりつとい)は、中国の前漢と三国時代ので、音楽に関する業務を扱った官職である。

前漢の李延年

前漢武帝のとき、侍中李延年が協律都尉に任命された[1][2][3]。李延年は、司馬相如ら数十人が作った詩賦、19章の歌詞に曲をあてた[4]。李延年は二千石の印綬を佩いた[5]。二千石は官吏の給与基準である秩石の一つで、技術部門の長にとどまらない高官のものである。

前漢では音楽の官として別に太楽令楽府令があったが、仕事の分担がどうなっていたかは不明である。李延年のほかに協律都尉になった者は知られない。前漢の官職解説である『漢書』百官公卿表、後漢の『後漢書』百官志に記されず、常設の官ではなかったようである。

魏の杜夔

『三国志』によれば、三国時代黄初中(220年 - 226年)に、杜夔太楽令・協律都尉になった[6]。同書は杜夔が曹操のひきたてで官職に留められ、続く曹丕の不興を買って免職になったと書く[6]。しかるに黄初は曹操死後の年号で、就任年に齟齬がある。杜夔は雅楽に通じ、楽器の制作を監督した[6]

晋より後

西晋では協律校尉に改称した。後の王朝では協律郎など「協律」を冠した別の官があった。

脚注

参考文献

外部リンク

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