飢饉による財政難により、信房の治世は多難を極めた。天明の大飢饉には八戸藩の有力商人である近江屋、美濃屋、大塚屋]より3000両以上の資金を調達し、他領からの米の買い付け資金にあてたりしている。これらの資金調達の代償として、寛政2年(1790年)から御用商人を家中武士に取り立てることも始めた。これらの方策は、商人たちの藩政に対する影響力を強めることとなった。
藩財政の改革のため、寛政6年(1794年)から寛政7年(1795年)、に八戸近郊の有力商人や五代官所に対して多額の才覚金を徴することも命じたが、領民の反発に遭うなど成果は芳しくなかった。