群馬県勢多郡横野村(現在の渋川市)に生まれる[1]。鳥山源吉の二男[4]。後に南雲貞三の養子となった[4]。1926年(大正15年)に高等試験司法科に合格し、翌年に同行政科に合格した[4]。1928年(昭和3年)に中央大学法学部を卒業し、弁護士を開業した[4]。
1936年(昭和11年)、民政党公認で第19回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。その後3回連続当選を果たした。その間、鈴木貫太郎内閣で大東亜参与官を務めた。
戦後、公職追放となり[5]、追放解除後の1952年の第25回衆議院議員総選挙に改進党から立候補したが、落選した。
1954年死亡。