南鷹次郎
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肥前国大村藩の藩士南仁兵衛の次男として出生し、幼名を久作といった。伯母の嫁ぎ先であった末松家の養子に入ったが、実兄邦蔵が病弱なため実家に戻った。9歳になって藩校五教館に学んだのち、14歳で半ば出奔するような形で長崎の広運学校に移り、2年後には上京して工学寮(のち工部大学校、現在の東京大学工学部の前身)小学校(予科に相当)へ入学した。1877年(明治10年)4月に工部大学校に入学したが、この年より定員の半数のみが官費生となってその選に漏れたこともあり、9月より札幌農学校(現在の北海道大学)の第2期生となる。同期には町村金弥、新渡戸稲造、宮部金吾、内村鑑三、広井勇などがいる。なお札幌農学校在学中の1879年(明治12年)に養子に入って池田姓となっているが、1884年(明治17年)に再び実家へ復籍している。明治16年8月に長屋高子と結婚し、のちに2男5女をもうけた。産業医学者の南俊治(1887-1961)は長男[2]。
業績
外遊
略歴
- 1877年(明治10年)9月 札幌農学校に入学[1]。
- 1881年(明治14年)
- 1883年(明治16年)3月26日 札幌農学校助教[2]
- 1889年(明治22年)9月11日 札幌農学校教授[2]
- 1895年(明治28年)4月5日 文部省移管に伴い農事部長(のちの農場長)に就任[7]
- 1898年(明治29年)11月23日 札幌農学会発足に伴い会頭に就任[7]
- 1899年(明治32年)6月5日 博士会認定により農学博士の学位を受ける[8]
- 1919年(大正8年)4月 北海道帝国大学初代農学部長[1]
- 1927年(昭和2年)4月28日 北海道大学辞職退官。同名誉教授(5月27日)。北海道農会会長を務める
- 1930年(昭和5年)12月19日 北海道帝国大学総長に就任[9]
- 1933年(昭和8年)12月9日 北海道帝国大学総長を病気により辞任。財団法人苗邨学園理事を務める
栄典
- 位階
- 1891年(明治24年)12月21日 - 正八位[10]
- 1892年(明治25年)12月28日 - 従七位[11]
- 1896年(明治29年)1月20日 - 正七位[12]
- 1898年(明治31年)4月30日 - 従六位[13]
- 1900年(明治33年)3月10日 - 正六位[14]
- 1902年(明治35年)9月20日 - 従五位[15]
- 1907年(明治40年)11月20日 - 正五位[16]
- 1912年(大正元年)12月28日 - 従四位[17]
- 1918年(大正7年)3月11日 - 正四位[18]
- 1923年(大正12年)5月10日 - 従三位[19]
- 1927年(昭和2年)5月16日 - 正三位[20]
- 勲章等