杉野目晴貞
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宮城県大崎市出身。旧制古川中学校(現在の宮城県古川高等学校)。</ref>11期(三浦義男は1期後輩)。旧制二高を経て、東北帝国大学卒業。真島利行に師事。1926年、ロックフェラー財団の国際奨学生としてグレートブリテンおよび北部アイルランド連合王国に留学。その後スイスに移った。1929年秋に北海道帝国大学への転勤含みで北海道札幌市に転居。理学部が新設された1930年に北海道帝国大学教授となり、「花の色の科学」と題して開学記念学術講演を行った。1938年に学位論文"Ueber dia oxydation von mesaconitin, aconitin, und ihrem oxydationsproduct, oxonitin"(「メサコニチン」「アコニチン」及び其の酸化生物「オキソニチン」酸化について)により大阪帝国大学から理学博士を取得[3]。ビタミンAの構造式の研究に取り組み、カボチャの色素を使った研究で構造式を決定したが、スイスの研究者がニンジンを使って2 - 3か月早く構造式を決定していたことがわかり臍をかんだ。教育者としても力量を発揮し、ノーベル化学賞を受賞した鈴木章に化学の楽しさを気づかせた。弟子に鈴木章と田丸謙二がいる。北大を総合大学に発展させ「北大中興の祖」とも言われている。
1951年、トリカブト属アルカロイドの研究で日本化学会賞を受賞。1954年に学長に就任。学長在任中には大学院医学研究科、大学院薬学研究科、薬学部を設置、また、一般教養部の教養部への改称も手がけた。北海道大学工業教員養成所も設置した。1966年、古市二郎に学長の座を譲り退任した。
国立大学協会副会長、日本化学会会長、科学技術会議議員などを歴任した。北見工業短期大学の北見工業大学昇格に尽力した。
杉野目が1933年(昭和8年)に札幌市中央区に建てた個人住宅は「杉野目家住宅」として知られ、水洗トイレを札幌の民家で初めて導入した。その文化的価値が認められ、1999年(平成11年)に国登録有形文化財になっている[4]。