肥前鹿島藩士。藩命で江戸の昌平黌に学ぶ[2]。藩主鍋島直彬の側近を務め藩論を尊王に纏めた。鹿島藩大参事を経て、東京府に出仕する。1872年(明治5年)には直彬と共にアメリカに留学し『米政撮要』を著した[2]。1874年(明治7年)内務省補となり、1879年(明治12年)直彬が初代沖縄県令に就任した際に沖縄県少書記官、同大書記官を歴任し[2]、1881年(明治14年)9月に辞任するまでの2年半、県令と共に県政運営にあたった[4]。
1890年(明治23年)佐賀県多額納税者として貴族院議員に互選され、同年9月29日[5]から務めたが、在任中に死去した。