原雅幸

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国籍 日本の旗 日本
代表作 『光る海』(100号)
『霧と残雪』(100号)
『秋韻』(200号)
地蔵堂のある風景』(20号)
『クリストファーロビンの聲』(12号)
『モンテプルチアーノ』(120号)
『薄氷の日』(100号)
『冬のアンジェリカ』(100号)
運動・動向 リアリズム
原 雅幸
HARA Masayuki
生誕 1956年
日本 大阪府
国籍 日本の旗 日本
代表作 『光る海』(100号)
『霧と残雪』(100号)
『秋韻』(200号)
地蔵堂のある風景』(20号)
『クリストファーロビンの聲』(12号)
『モンテプルチアーノ』(120号)
『薄氷の日』(100号)
『冬のアンジェリカ』(100号)
運動・動向 リアリズム
受賞 1982年、1985年 安井賞展入選
公式サイト masayukihara.com
影響を受けた
芸術家
ヨハネス・フェルメールレンブラント・ファン・レインジャン・シメオン・シャルダンジャン=バティスト・カミーユ・コローアンドリュー・ワイエスアンデシュ・ソーン
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原 雅幸(はら まさゆき、1956年 - )は、日本の洋画家

大阪府出身。写実を基調とした作風で知られ、記憶に基づく風景を丹念に描写することで独自の世界観を築いている。ヨハネス・フェルメールの絵画に触発され、学生時代からバランスの取れた構図に関心を寄せていた。雲の流れ、川面の波形、巨樹の樹皮など、日常の風景に見られる自然の細部を題材とし、計算された構図と超細密な描写技法を用いて、光や空気感の表現を追求している[1]写実絵画の分野において独自の地位を築き、多くの画家に影響を与えている。

画家のフィロソフィー

原は、住み慣れた日常を通じて記憶に残る風景と向き合い、それを意味ある風景として描くことにより、鑑賞者との記憶の共鳴を生み出すことを目指している。原の写実的な作風においては「共感」が重視されており、鑑賞者が時間を忘れ、作品世界に没入する体験を促すことを意図している。[2]
原の作品は、鑑賞者に既視感デジャヴ)を喚起することで知られている。この感覚は、過去の楽しい記憶と関連付けられると、鑑賞者が自分の経験をより鮮明に、そして温かく思い出すのに役立ち、潜在的に心理的な癒しと安らぎの感覚をもたらすと考えられている。[3]

原点

原の芸術的原点とされる風景は、大阪府南部に位置する。遠方に大阪湾の輝きを望む田園風景は、「光る海」において、完璧な構図で表現されている。また、180度振り返ると、卒業制作の題材となった「雨山」[4]の風景が広がっており、これら二つの景観が一体となって、原にとっての創作の原点かつかけがえのない宝物となっている。[5]

取材

原は大阪における画業において、ほぼ毎日のように画題を求めて取材を重ねていた。取材は午後3時頃から夕方にかけて行われることが多く、瀬戸内海から遮るものなく差し込む黄色い光の粒子が、数多くの優れた作品の創作に寄与した。特に夏の終わりに見られる晩夏光は、時間の経過によって影の長さに特徴が現れ、取材場所を選定する際の重要な指標となっていた。[6]

構図

原は、記憶に残る風景に内在する美を絵画として再構築する際、黄金分割を用いた構図設計を行っている。画面の四隅から円弧を描き、曲線によって画面を分割することで、複数の要素を調和的に配置する技法を採用している。この手法は、初期の制作時期から現在に至るまで一貫して用いられており、原の作品における構図の特徴となっている。[7]

原の描く風景は、記憶に基づく情景を丁寧に描写したものであり、空気感を伴う繊細な表現が特徴とされる。構図は均整が取れており、画面内の各要素が鑑賞者にとって印象深く認識されやすい。これにより、作品には没入感や既視感が生まれ、鑑賞者の記憶や感情と共鳴するような感覚をもたらす。こうした特性は、原の絵画が幅広い層に親しまれる要因となっている。[8]

描法

原の描法は、日本から英国へ移住した後、同国の曇天の風景に触れた経験を契機として変化したとされる。原は、曇り空の下では色彩が弱く感じられるとの認識から、葉や木、石などの対象を白黒の階調として捉えるようになり、油彩画ではグリザイユ技法を取り入れた表現へ移行した。この技法の採用について、作品に特有の暗さや不穏な空気感を表す意図があると述べている。[9]

遠近法

原は、遠近法を巧みに用いることで、鑑賞者に絵画空間へ引き込まれるような感覚を与えている。光と影の操作により、視線を画面の奥へと誘導する構成が特徴的である。ハートソップの羊牧場を描いた作品において、原は遠近法の効果について次のように説明している。羊の群れを隔てるように積み上げられた岩の垣根は、画面内で視線を遠方へ導く線として機能し、画面に奥行きをもたらしている。また、午後の斜光が羊や牧草に影を落とし、その影が太陽を中心とした遠近法の構造の一部として働き、同様に鑑賞者の視線を画面奥へと導いている。[10]

時間軸の表現

原の作品には、雲の動きや水面の揺らぎといった自然現象が、静止画でありながら動的に表現されている。額縁の中に、現実とは異なる時間が流れる異空間が存在するかのような印象を与える。これは、空気の流れや光の変化といった自然の摂理を的確に理解し、それを緻密な描写によって表現することで実現されている。鑑賞者は、作品内にもう一つの世界が存在し、現実とは異なる時間軸が刻まれているかのような感覚を抱くのである。[11][12]

評価

原の風景画については、国内外の美術評論家が継続的に論じており、その技術的精密さ、抑制された情感、そして静謐で観照的な雰囲気が指摘されている。

明治大学名誉教授で西洋美術史家の森洋子(1936年生)は、16世紀ネーデルラントの画家ピーテル・ブリューゲル研究の第一人者として知られている。森は、原の作品に見られる、一本一本の草葉から一粒一粒の砂に至るまで極めて精緻に描き込む独自の筆致に注目している。このような緻密な描写は、ときに作家自身を追い込む作業となり得るが、森は原の作品からはそのような苦悩は感じられず、むしろ自然への力強い賛美が伝わってくると評価している。 ブリューゲルの伝記において、カレル・ファン・マンデルは「自然が人間界からこの画家を選び、己を描かせた」と称賛した。森はこの評価を引き合いに出し、原の創作を通じて、イギリスの自然が新たに発見されるだろうと述べている。[13]

美術史家ニコラス・フォックス・ウェーバーは、ニューヨークのハマーギャラリーで開催された原の第2回個展(1988年)の図録に寄せた文章で、原を「稀有な技巧と卓越した制御力を備えた芸術家」と評した。ウェーバーは、原の風景画が暴力や混乱の描写を避け、雲・岩・森・山といった自然要素が静かで秩序ある存在感を保つ点を指摘している。また、老いた顔や朽ちゆく葉、船の塗装の剥離といった題材を扱う場合でも、それらが破壊ではなく調和の感覚の中に位置づけられていると述べ、光や水、大気に対する原の感受性をレフ・トルストイの芸術観に重ね合わせて論じている。[14]

スターリング&フランシーン・クラーク美術研究所絵画部門キュレーターのアレクサンドラ・R・マーフィーは、原の第1回ハマーギャラリー個展(1986年)の図録において、原の風景画が「特定の日本の風景としての具体性」と「風景画に普遍的に見られる形式的特質」との独自の均衡を達成していると述べた。彼女は、微妙な色彩表現と高度に鍛えられた描写力の組み合わせを評価し、こうした厳密さは現代の風景画では稀であると指摘している。また、細部への綿密な観察をファン・エイク兄弟やベッリーニといった初期ヨーロッパの巨匠に比較し、原の作品が風景画に「物質的な存在感」を取り戻していると論じた。さらに、広大な大気空間から親密な自然の細部に至るまでを描き分ける能力を挙げ、特定性と普遍性の均衡によって原の作品が「写実を超える領域」に達していると結論づけている。[15]

美術評論家の村瀬雅夫(1939–2013)は、原の卒業制作の頃からその才能を高く評価し、生涯にわたり原作品を論じた人物として知られる。村瀬は、原の初期および後年の画集に寄せた文章において、原の油彩表現が日本洋画史の中で特異な位置を占めることを繰り返し指摘している。
村瀬によれば、原の油彩画には一般的な洋画に見られる「油くささ」がなく、日本の風土に根ざした情感を油彩で表現している点に独自性があるという。繊細で湿潤な光や空気感を描き出す手法は川合玉堂の日本的情緒にも通じるとされる。また、面相筆を用いた極めて細密な描写によって、風景の細部から大気の質感に至るまで描き残しがないほどの精緻さを実現しており、こうした表現は従来の日本洋画には見られなかったと評価されている。
1979年に制作された無名の風景画について、村瀬は当時の空気や生活感を濃密に封じ込めた点を高く評価し、この姿勢を高橋由一ら初期洋画家の伝統に連なるものと位置づけた。さらに、原の写実的な風景表現はフェルメールやコローの古典的な流れにも接続し、日本洋画における新たな油彩表現の到来を示すものと述べている。
村瀬は、原の画風を支える要因として「見えたものをそのまま捉える鋭い観察眼」を挙げる。原の題材は一見平凡で通俗的であるが、新興団地や工場など近代化を象徴するモチーフは避けられ、むしろ埋立地の漂流物、荒れた峠、廃屋の雪景といった「滅びゆくもの」への眼差しが一貫していると指摘する。こうした視点により、原の風景画は日本の風土に宿る哀歓や時間の推移を描き出す独自の表現として特徴づけられる。[16]
後年の画集においても村瀬は、原の克明で明快な描写が日本の油彩画において前例のないものであることを改めて強調し、四季の移ろい、光、霧、雪などを自在に描き出す表現力を高く評価している。平凡な風景を題材としながらも、そこに万物流転や時の推移といった主題を読み取る姿勢こそが、原作品の大きな特色であると結論づけている。[17]

美術史家・美術評論家の本江邦夫(1948–2019)は、「画業40年 原雅幸展」において、エジンバラを拠点とした作品群について次のように述べている。本江は、原の作品において感情表現よりも物体としての存在感が強く表れている点を特徴として挙げ、雲や木々、地面といった自然の要素が「風景」として観念化される以前の、より直接的で強い存在感をもって描かれていると指摘する。このような表現に到達した画家は少ないと評価している。
また本江は、作品を実際に見ると画面が想像以上に硬質であることに気づくとし、日本では「風景=身近で馴染んだ環境」と捉える傾向が強いため、作品が持つ物体としての力強さが見落とされやすいと述べる。一方、西欧美術史では風景そのものが独立した対象として扱われてきたため、「最初の風景画」という概念が成立すると説明している。
さらに本江は、原が風景を描く際、対象の中に身を置き、その一部となることを重視している点にも触れ、その姿勢によって装飾的な構成に頼らず、画家自身の存在をかけた風景の再構築が可能となり、作品の堅牢な画肌を生み出していると評価する。こうした理由から、本江は原雅幸を「徹底した風景画家」と位置づけている。[18]

来歴

大阪府に生まれる。1979年に多摩美術大学を卒業後、銀座飯田画廊にて多数の個展を開催。卒業制作作品「雨山」は、同画廊を通じて早期に売買が成立した。

初期は大阪府南部の里山、田園、海岸などを題材に制作を行い、1982年および1985年に安井賞展に入選[19]

1981年には『現代画家精選 原雅幸画集』(貢真社)[20]、1987年には『原雅幸画集』(求龍堂グラフィックス)を刊行[21]

1986年および1988年には、ニューヨークのハマーギャラリー(1928年創設)[22]にて個展を開催し、海外でも評価を得た[23][24][25][26][27]。当時キュレーターを務めていたアレクサンドラ・マーフィーは「写実の域を超え、地球上の永遠の神秘を一瞬にして捉える」と評し[26]、アメリカン・リアリズムの代表的画家アンドリュー・ワイエス(1917年 - 2009年)も「この若者は素晴らしい目を持っている」と称賛した[28]

1994年には奈良県立美術館で開催された「現在油彩画の写実展」に出品[29]

1998年に渡英し、2005年からはスコットランドエディンバラに拠点を移し、英国の風景を中心に制作を続けた[30]

2008年頃より、ホギメディカル代表取締役でホキ美術館創立者の保木将夫(2021年死去)の支援を受け、100号以上の大作を含む多数の作品が同美術館に収蔵されている。

2010年のホキ美術館開館以降、日本における写実絵画のブームが顕在化し、原の作品は開館当初から高い評価を受けている[31][32][33][34][35]

2012年にはエディンバラの老舗ギャラリー The Scottish Gallery(1842年創設)[36]にて三人展を開催。以後もスペインなどで国際的な活動を展開している[37]

2025年 日本に帰国

代表作

日本の風景

「光る海 100号」(ホキ美術館蔵)
「雨山 120号」(個人蔵)
「霧と残雪 100号」(新潟県立近代美術館, 新潟県立万代島美術館蔵)
「樹間の雪景 60号」(福井県立美術館蔵)
「廃船 50号」(福井県立美術館蔵)
「群像 50号」(個人蔵)
「秋韻 200号」(個人蔵)[38]
「池 30号」(個人蔵)
「木の陰 30号」(個人蔵)
「高原の牧場 12号」(個人蔵)
地蔵堂のある風景 20号」(個人蔵)
「木造船の港 20号」(ホキ美術館蔵)

海外の風景

「マナーハウス 30号](ホキ美術館蔵)
「クリストファーロビンの聲 12号」(ホキ美術館蔵)
「モンテプルチアーノ 120号」(ホキ美術館蔵)
「薄氷の日 100号」(ホキ美術館蔵)
「Malhamの光る川 30号」(ホキ美術館蔵)
「冬のアンジェリカ 100号」(ホキ美術館蔵)
「ハートソップの羊牧場 100号」(ホキ美術館蔵)
「ナローカナルのボート乗り場 12号」(個人蔵)
「Three Boats 12号」(個人蔵)

脚注

参考文献

外部リンク

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