原駒子
From Wikipedia, the free encyclopedia
1910年(明治43年)2月26日、神奈川県横浜市翁町(現在の同県同市中区翁町)に生まれる[1][2]。
1924年(大正13年)、14歳のときに松竹キネマ下加茂撮影所に入社[1]、同年4月10日に公開された枝正義郎監督の『落日の夢』で、主演の沢村四郎五郎の相手役としてデビューした[1][3]。同年中に帝国キネマ演芸に引き抜かれ、同社の芦屋撮影所で製作した横山運平主演の『嘆きの村』と水島亮太郎主演の『愛するが故に』に出ただけで、翌1925年(大正14年)には東亜キネマに移籍している[3]。同社では、甲陽撮影所から等持院撮影所(のちの東亜キネマ京都撮影所)を経て、1931年(昭和6年)に同社が東活映画社に改組されるまでに109本に出演した[3]。同年、俳優の羅門光三郎と結婚した[4]。
1932年(昭和7年)、夫で俳優の羅門光三郎とともに東活映画社を退社、富国映画社を設立、奈良県生駒郡南生駒村(現在の生駒市壱分町)にある月形プロダクション撮影所を使用してサイレント映画を3作製作するが、同年中に宝塚キネマに移籍した[3]。同社は1934年(昭和9年)2月には解散するので、その後は京都の太秦地区で、日活、市川右太衛門の市川右太衛門プロダクション、永田雅一の第一映画、嵐寛寿郎の嵐寛寿郎プロダクションを転々とする[3]。同年、羅門光三郎と離婚した[4]。
1935年(昭和10年)11月、マキノ正博のマキノトーキー製作所設立に参加、26本に出演した[3]。同社が終焉していく1937年(昭和12年)2月の『女左膳』第1篇・第2篇を最後に、同社から多くの人材が流れた日活京都撮影所に移籍した[3]。これまではトップスターで主演作ばかりであったが、同撮影所では脇役に回り[4]、27本に出演した[3]。1940年(昭和15年)からは松竹下加茂撮影所に移籍した[3]。
第二次世界大戦終了後、1949年(昭和24年)、大映京都撮影所製作、木村恵吾監督の『大江戸七変化』に出演して復活した[2]。1952年(昭和27年)、児井プロダクション、新東宝提携、溝口健二監督の『西鶴一代女』に出演したのを最後に引退している[3]。女優引退後は、大阪の北新地で「クレーン」という名前のクラブを経営していた[5]。
おもなフィルモグラフィ

- 『落日の夢』 : 監督枝正義郎、松竹キネマ下加茂撮影所、1924年
- 『嘆きの村』 : 監督深川ひさし・山下秀一、帝国キネマ演芸芦屋撮影所、1924年
- 『愛するが故に』 : 監督細山喜代松、帝国キネマ演芸芦屋撮影所、1925年
- 『愛傷』 : 監督石田民三、東亜キネマ等持院撮影所、1926年
- 『砂絵呪縛』シリーズ : 監督後藤秋声(岱山)、東亜キネマ等持院撮影所、1927年
- 『新版大岡政談』シリーズ : 監督広瀬五郎、東亜キネマ京都撮影所、1928年
- 『月形半平太』 : 監督枝正義郎、東亜キネマ京都撮影所、1929年
- 『清川八郎』 : 監督石田民三、東亜キネマ京都撮影所、1930年
- 『霧の中の白蓮』 : 監督福西譲治、東亜キネマ京都撮影所、1931年
- 『薩南大評定 黄金篇』 : 監督後藤岱山ほか三名、東亜キネマ京都撮影所、1931年
- 『薩南大評定 万能篇』 : 監督後藤岱山ほか三名、東活映画社、1931年
- 『韋駄天数右衛門』 : 監督後藤岱山、宝塚キネマ、1933年
- 『愛憎峠』 : 監督溝口健二、日活多摩川撮影所、1934年
- 『マリヤのお雪』 : 監督溝口健二、第一映画、1935年
- 『月形半平太』 : 監督山本松男、嵐寛寿郎プロダクション、1935年
- 『江戸噺鼠小僧』 : 監督マキノ正博・久保為義、マキノトーキー製作所、1935年
- 『國定忠治 信州子守唄』 : 監督マキノ正博、マキノトーキー製作所、1936年
- 『忠治血笑記』 : 監督久保為義・マキノ正博、マキノトーキー製作所、1936年
- 『忠治活殺剱』 : 監督久保為義・マキノ正博、マキノトーキー製作所、1936年
- 『女左膳』 : 監督中川信夫・マキノ正博、マキノトーキー製作所、1937年
- 『恋山彦 風雲の巻』 : 監督マキノ正博、日活京都撮影所、1937年
- 『恋山彦 怒濤の巻』 : 監督マキノ正博、日活京都撮影所、1937年
- 『血煙高田の馬場』 : 監督マキノ正博、日活京都撮影所、1937年
- 『弥次㐂夛道中記』 : 監督マキノ正博、日活京都撮影所、1938年
- 『忠臣蔵 天の巻・地の巻』:監督マキノ正博、日活京都撮影所、1938年 - おくに
- 『振袖御殿』 : 監督大曾根辰夫、松竹下加茂撮影所、1941年
- 『大江戸七変化』 : 監督木村恵吾、大映京都撮影所、1949年
- 『西鶴一代女』 The Life of Oharu : 監督溝口健二、児井プロダクション / 新東宝、1952年