原龍太
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蘭学を修めた福島藩藩医・原有隣[1]の長男。戊辰戦争後の2年間、一家で三河国に移ったが再び福島に戻る[1]。藩校や米沢英学校で学んだ後、上京して1873年(明治6年)慶應義塾に入塾。2年後には開成所に転じ、1877年(明治10年)東京大学理学部に入学。1881年(明治14年)に卒業し、理学士となる。
その後、東京府技師として、水道土木の事業に携わる。また、帝国大学工科大学講師、第一高等学校教授を兼務し、1899年(明治32年)工学博士を授けられる。同年より1907年(明治40年)まで、東京帝国大学工科大学教授を兼任し、足尾銅山鉱毒予防に関する調査を行う。1907年以降は横浜市技師に任ぜられ、水道土木事業に従事した。