小説『三国志演義』で厳顔は老将の設定だが、正史で老将なのは張任である。強弓と大刀の使い手の猛将とされている。
張飛が侵攻してきた時は五、六千の兵を集め、敵の弱点である補給と張飛の短気さから長期戦を目論んで籠城して迎え撃つ。降伏勧告に来た張飛の使者の耳と鼻をそぎ落として追い返し、張飛軍に対しても挑発して攻め寄せてきたところに矢を浴びせ、自らは張飛の兜に矢を当てている。逆に張飛達が挑発しても一切出撃することなく守りに徹していた。だが、張飛が巴郡を迂回出来る小道を通ろうとしていることを知ると、厳顔はそこで待ち伏せして張飛軍の兵糧部隊を襲って軍の瓦解を目論み、密かに城を出て小道に待ち伏せる。深夜、張飛軍が小道を進軍し、先方にいる張飛をやり過ごすと、後方の兵糧部隊に襲い掛かるが、実はすべて張飛の策略で、先方にいた張飛は偽者で、本物は兵糧部隊におり、厳顔は返り討ちに遭って捕らえられる。その後、正史と同様に屈しない姿勢を感服する張飛の態度に感心し、降伏する。
張飛に降伏した後、自ら他の守将に降伏勧告を行なっている。雒城を守る劉璝にも投降を呼び掛けるも、拒絶して徹底抗戦の意志を示したため矢で射かけようとするが、張翼が先に彼を斬り殺した。その後は黄忠と共に老将コンビを結成して漢中攻略の際には大いに活躍し、夏侯徳を討ち取っている。
南宋末期の右丞相文天祥が作った詩「正気の歌」にも、蘇武・張巡ら歴代の忠臣義士と並んで厳顔が登場する。
重慶市忠県で三国時代の墓が発見された際、地元の言い伝えを根拠に厳顔の墓であると主張された事があった[2]。