双玉詰将棋
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2つの玉がある詰将棋は戦前の大道詰将棋にもあったとされているが、双玉詰将棋のジャンルとしての確立は戦後である。
最初に双玉詰将棋を考案したのは加藤玄夫である。加藤は元奨励会員であり、そのときの対局で逆王手をされて負けた経験から考えたとされる。
加藤は戦後創刊間もない詰将棋パラダイス誌に双玉詰将棋を投稿したが、同時期に古関三雄も双玉詰将棋(古関は「複式詰将棋」と呼んでいた)を投稿していた。同誌ではレポート付であった古関の作品のみが掲載された。しかし、この形式に興味を示す人は少なかった。
加藤は双玉問題を大道詰将棋として出題した。通常の詰将棋と比べて「玉が取られる」という明白で盛り上がる失敗が存在するため、多くの大道詰将棋屋が出題しその中で多数の問題が作られた。
大道詰将棋は見られなくなったが、双玉詰将棋はジャンルの一つとして確立されており、専門誌などでも通常の作品と同等に評価され掲載される。
現代の代表的な双玉詰将棋の作者として神吉宏充があげられる。神吉は、双玉詰将棋の新聞への出題や作品集の発行も行った。