受胎告知教会
From Wikipedia, the free encyclopedia
歴史
最初期の受胎告知教会は、ローマ帝国内でキリスト教を公認したローマ皇帝コンスタンティヌス1世の母親である聖ヘレナ皇后の指示で4世紀に建てられたとされていて、その意味ではベツレヘムの聖誕教会やエルサレムの聖墳墓教会と時代を同じくしていた。この教会は7世紀にイスラム帝国の侵入により破壊された[5]。
二代目の教会は十字軍の時代の1102年にタンクレードにより建てられた。この教会は完全に修復には至らなかったことが1909年の発掘で分かっている。1187年にはサラーフッディーン(サラディン)がヒッティーンの戦いで十字軍に勝利したが、サラディンはフランシスコ会が当地で礼拝を続けることを許可した。そして、1260年にはマムルーク朝のバイバルスにより破壊された[6]。
時代が経って、オスマン帝国支配下の1620年にはフランシスコ会がナザレに再来することが許されて、聖なる洞窟(マリアの家があったと伝わる場所)を覆う簡単な教会が再建された。1730年には新しい聖堂の建設が許可され、ナザレ地域のラテン典礼カトリック教徒(ラテン語でミサを行なう人々)の中心的な集いの場となった。また1877年には拡大された[7]。
古い教会は1954年に建て替えのため取り壊され、現在の聖堂はイタリア人の建築家ジョヴァンニ・ムツィオ(Giovanni Muzio)によって設計され[8]、1964年に聖地巡礼のためイスラエル・パレスチナを訪れたローマ教皇パウロ6世により聖別されて[9]、1969年に完成した[7]。

