受験生ブルース
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1967年の夏に第一回フォーク・キャンプでボロ・ディランの真崎義博がボブ・ディランのNorth Country Blues(炭坑町のブルース)を日本語訳して歌っていた[3]。それを聞いた聴衆や当時高校3年生であった中川五郎にも強烈な印象を与え、ずっと耳に焼き付いて離れないようになり、中川が同年8月、受験の補修の授業中に「おいでみなさん聞いとくれ」で始まる替え歌を作って、9月から歌うようになった[3]。元歌のメロディーはマイナー調で暗かったが、歌詞を聴いてみんな笑って聴く、皮肉と受け止めて聴く人が多く中川の歌の中では受けがいい歌になった[3]。「帰って来たヨッパライ」が大ヒットしてから、1967年の終わりから1968年の初めにかけて、「受験生のブルース」の曲をつけかえてレコードにしようという話が出ていた[3]。曲も暗いし、テンポも遅く、尺も長いので、全然違う曲をつけないかと後にURC社長になる秦政明と言われていた[3]。中川の知らぬ間にタイトルも「受験生ブルース」に改題され、高石が歌うことになる[3][4]。高石がC&W調の明るい曲にして、歌詞も半分くらい変えられてリリース[3]。ブルースというタイトルでありながら、曲調が異なるのはそのような理由による。
高石の「受験生ブルース」は累計で90万枚[5]の大ヒットを記録している。
本曲中に出て来る「ラジオ講座」のアナウンサーとして出演しているのは、当時ニッポン放送のアナウンサーだった梶幹雄である[6]。
最初に作った中川五郎が「受験生のブルース」を、この「受験生ブルース」ヒット後に披露する機会もあったが、勝手にマイナーなメロディーをつけて歌っていると誤解されることもあり、歌わなくなった[7]。
なお、高石は弾き語りでレコーディングしたかったが、秦から勝手にバンジョーを入れたアレンジにされ、録音が終わった後「こんな感じでええやろ?」と言われて、「あぁ、こういう人なのか」と思った[4]。後に秦と組んだことを「悲劇の始まりです」と語る[4]ように、この頃から不穏な空気は流れていた。
収録曲
作詞:中川五郎、作曲:高石ともや
- A面
- 受験生ブルース(3分42秒)
- B面
- 受験生ブルース(LIVE盤)(3分45秒)
- 第2回高石友也リサイタル(1968年1月12日、大阪サンケイホール)。