真崎義博
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経歴
東京都生まれ。1960年代、中学生の頃からジャズ喫茶に入り浸り、ジョン・コルトレーンを知る。
明治大学在学中、カレッジフォーク全盛の東京で、高田渡、遠藤賢司、南正人、金子章平(後に音楽プロデューサーとして活躍)らと東京で「アゴラ」という日本語のフォーク・ソングのチームに参加[2]。1968年8月に京都で行われた第3回フォークキャンプに「ボロディラン」の変名で出演した。単独で「いやなおまえ」、「カラス」、金延幸子と「アリス」を歌い、その音源がレコード化、CD化されている[3]。この頃、中山ラビと出会っているとされる[4]。
大学卒業後、1972年の「未開社会における性と抑圧」(B・マリノウスキー著、社会思想社)を皮切りに、同年「呪術ドン・ファンの教え」(カルロス・カスタネダ著、二見書房)を翻訳。音楽評論家のポール・ウィリアムズ「ニューヨーク・ブルース」(音楽之友社、1975年)なども翻訳した。
1978年から、ジョー・エスターハズの「フィスト」を手始めに、海外ミステリー作品の翻訳を手がけるようになった。訳書には、ウィリアム・L・デアンドリア『ホッグ連続殺人』(ハヤカワ文庫)、アガサ・クリスティー「ポアロ登場」 (ハヤカワ文庫)、デイヴィット・グーディス「ピアニストを撃て」(ハヤカワ・ポケット・ミステリ)といった話題作もあり、ミステリー小説の翻訳家として定着しているだけでなく、ヘンリー・D・ソロー『森の生活』なども手がけている。
現在は、翻訳専門学校でゼミの指導者としても活躍している[5]。
エピソード
- 学生時代から、ボブ・ディランの楽曲の訳詞も手がけていた。中山容が1番を訳し、その後、真崎とエブロ=メロンが書き足し、真崎が歌ったボブ・ディランの「プレイボーイ、プレイガール」は、新宿フォークゲリラが歌い、フォーク・キャンパーズなどがカバーしてさらに歌詞が変わっていった[6]。中川五郎作詞・高石友也作曲の「受験生のブルース」の歌詞は、ボブ・ディランの「ノース・カントリー・ブルース」を真崎が翻訳した「炭鉱町のブルース」[7]をもとに中川が替え歌としてつくったものだという[8]。
- ボブ・ディラン楽曲の歌詞の翻訳家で詩人、関西フォークの仕掛人といわれる中山容らがつくった京都の喫茶店「ほんやら洞」開店当時の1972年頃、中尾ハジメと京都市内で共同生活を送り、片桐ユズルらと交流していた[9]。
- 1997年3月30日、高田渡と中山ラビが呼びかけた中山容を「偲ぶ会」に参席した。会には「アゴラ」時代の仲間である遠藤賢司も顔を見せ、演奏を披露した[10]。