古谷久綱
日本の政治家 (1874-1919)
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経歴
愛媛県東宇和郡明間村(現在の西予市)出身。明治26年(1893年)、同志社を卒業した。日清戦争の際には、国民新聞記者として第2軍司令部に従軍した。明治32年(1899年)、ブリュッセル自由大学に論文を提出し、博士号を得た。
明治33年(1900年)、帝室制度調査局事務嘱託・東京高等商業学校(現在の一橋大学)教授となったが、帝室制度調査局総裁伊藤博文の目に留まり、同年に伊藤が内閣総理大臣に就任すると、内閣総理大臣秘書官に起用された[2]。翌明治34年(1901年)に第4次伊藤内閣が総辞職すると帝室制度調査局秘書に転じた。
その後も伊藤が明治38年(1905年)に韓国統監に就任すると、統監秘書官、ついで統監府総務部秘書課長に任じられた[3]。さらに伊藤が明治42年(1909年)に枢密院議長に就任すると、議長秘書官・宮内省式部官に任命された[4]。
伊藤の死の翌年の明治43年(1910年)に枢密院議長秘書官を辞して、李王職御用掛に転じ、大正4年(1915年)まで務めた[5]。同年の第12回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。大正6年(1917年)の第13回衆議院議員総選挙にも当選した。大正6年(1917年)国電高円寺駅、阿佐ケ谷駅の開設に尽力[6]。墓所は青山霊園[7]
栄典
親族
著書
- 『藤公余影』民友社、1910年
