Wikiwand AI

古賀定雄

幕末の佐賀藩士、明治期の内務官僚 From Wikipedia, the free encyclopedia

古賀 定雄(こが さだお、1832年4月(天保3年3月)[1][2][注釈 1] - 1877年(明治10年)11月18日[1])は、幕末の佐賀藩士、明治期の内務官僚。権令。通称・一平[1]。大木民平(大木喬任)、江藤新平と共に「佐賀の三平」と呼ばれた才人[3]。

古賀定雄(一平)の肖像写真。

経歴

佐賀藩士・河内定古の息子として生まれる。祖父は古賀定徳[1]。早くから尊王攘夷論を唱えて活動した[3][4] 。

慶応4年閏4月3日(1868年5月24日)、日田御領所御用掛を命ぜられるも、着任することなく長谷川範蔵に差し替えとなる[2]。同年6月、下総野鎮撫府付となる[2]。同年8月8日(9月23日)、旧代官の松村忠四郎に代わって武蔵知県事に就任し、その管轄区域が明治2年2月(1869年)品川県となる。

明治4年5月、藩主鍋島直正が没した佐賀藩の大参事に転じた[2]。廃藩置県・府県統合を経て佐賀県参事となり[2]、維新政府の方針による県政を推進したが県民の反感を買い[3]、同年7月12日(8月15日)に免官となる[2]。同年7月25日(8月28日)、宮内少丞に就任。1年あまり後、ごく短期間足柄県参事に任ぜられたが免官、位記返上となる[2]。

1874年11月、名東県権令に就任し、翌1875年9月に香川県権令となったが[2]、病気を理由に同年10月に依願免官となった[2][4]。墓所は青山霊園(1イ1-2)。

職歴

親族

脚注

参考文献

Related Articles

Timelines

Top Qs

Fact Checks