可睡斎
静岡県袋井市久能にある曹洞宗の仏教寺院
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歴史・概要

室町時代初期、応永8年(1401年)に恕仲天誾禅師によって開山された[1]。
可睡斎の第11代住職仙隣等膳は小僧時代に臨済寺で、今川義元の人質となっていた松平竹千代(後の徳川家康)の教育を受け持ったことがあった。後に浜松城主となった家康はその時の恩を忘れず、旧交を温めるために等膳和尚を城に招いた。ところが道中の疲れもあり、当時を懐かしむ話をしている最中に、和尚は居眠りを始めてしまった。その様子を見た家康は「和尚我を見ること愛児の如し。故に安心して眠る。われその親密の情を喜ぶ、和尚 、眠るべし」と言い、以来和尚が「可睡和尚」と呼ばれたことから、いつしか本来東陽軒であった寺の名も可睡斎となった[1]。
また、境内には三方ヶ原の戦いで武田信玄の軍から逃れた家康が隠れたとされる洞窟が出世六の字穴として今も残されている。
天正11年(1583年)に徳川家康より三遠駿豆4ヵ国の曹洞宗僧録司を命ぜられ,近世に入って大僧録としての地位を確立した。
1873年(明治6年)、秋葉山(あきはさん、静岡県浜松市)の神仏分離に伴い三尺坊大権現(さんしゃくぼうだいごんげん)が遷座され火防災除の寺ともなった(由来は「秋葉山本宮秋葉神社」の項を参照)。修行道場として僧堂を設置している。
東側の丘陵には約10万平方メートルの「可睡ゆりの園」があり、150種類・200万本のユリが植えられている[4]。また初夏の牡丹が美しい。

