吉岡俊正
From Wikipedia, the free encyclopedia
生い立ち
医学者の吉岡守正の子として生まれた[1]。父と同じく医学の道を志し、北里大学に進学し医学部で学んだ[2][3]。1979年、北里大学を卒業した[2][3]。なお、1990年には、博士論文「Impaired preservation of GFR during hypotension in preexistent renal hypoperfusion」にて、北里大学より医学博士の学位を取得している。
大学卒業後は、研修医として北里大学病院の小児科に勤務する[2][3]。その後、アメリカ合衆国に渡った。1984年、ハーバード大学医学大学院のボストン小児病院にて、腎臓病科のリサーチフェローとなった[2][3]。
研究者として
1987年、ヴァンダービルト大学にて、医学部の講師に就任した[2][3]。医学部においては、主として小児科を担当した[2][3]。その後、日本に帰国した。1994年、東京女子医科大学にて、医学部の講師に就任した[2][3]。講師としては、主として腎臓小児科を担当した[2][3]。1997年には、東京女子大学の医学部にて助教授に就任した[3][2][3]。助教授としては、当初は主に薬理学を担当したが[2][3]、2001年からは医学教育学を担当した[3]。2003年、東京女子医科大学の医学部にて主任教授に就任した[2][3]。主任教授としては、主として医学教育学を担当した[2][3]。また、東京女子医科大学を設置・運営する法人である「学校法人東京女子医科大学」においては、理事も務めた[3]。2010年には、法人の副理事長に就任した[2]。2013年4月1日には、吉岡博光の後任として、法人の理事長に就任した[4]。
そのほかの役職としては、2012年より、文部科学省の審議会等のひとつである大学設置・学校法人審議会にて学校法人分科会の委員を務めた[2]。また、日本の大学に対する認証評価機関である大学基準協会にて、大学評価委員・主査を務めた[2]。また、日本国外の大学においても、フィジー大学の医学部の認証評価主査や、モンゴル医科大学の外部評価委員などを務めた[2]。
研究
家族・親族
略歴
著作
共著
- 矢崎義雄編『医の未来』岩波書店、2011年。ISBN 9784004313007
分担執筆
- 吉田一郎・大西弘高編著『実践PBLテュートリアルガイド』南山堂、2004年。
- 東京女子医科大学医学部テュートリアル委員会編『テュートリアル教育――新たな創造と実践』新版、篠原出版新社、2009年。ISBN 9784884123277
翻訳
- World Federation for Medical Education編、吉岡俊正・小島多香子監訳、大久保由美子・菅沼太陽翻訳協力『世界医学教育連盟グローバルスタンダード』2003年版、吉岡俊正、2010年。
監修
- 副島昭典・吉岡俊正監修、松澤直輝・青柳一正編『腎とフリーラジカル』7集、東京医学社、2004年。ISBN 4885631505