吉村正
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1961年 29歳で岡崎市内に吉村医院を開院。開院当初は最先端の医療機器を備え、分娩の管理を目指していたが、産科医として出産に立ち会うなかで、自然なお産を目指すようになり、1975年産院の裏に江戸時代の古民家を移築して分娩前の妊婦たちに薪割りなどの労働を行い安産を待つスタイルを確立していった[1]。1999年には、さらに発展させ「お産の家」を新築し、自然分娩について全国で講演会を展開していった。2010年河瀬直美監督によって、吉村医院を舞台としてドキュメンタリー映画『玄牝-げんぴん-』が製作された。この年に体調を壊し、2013年末を持って、院長を退任した[2]。
2017年初頭から体調の衰えが激しくなり、娘でミュージシャンの大辻織絵が専門医の受診を試みたものの本人の抵抗にあって果たせず、同年秋頃には容体がさらに悪化してアルツハイマー病を発症していたことが判明。2017年11月7日に死去した。 晩年の様子は娘の大辻のブログで公表されている。[3]。
1964年6月名古屋大学医学博士 論文の題は「冬眠カクテルの吉田肉腫に及ぼす影響に関する実験的研究」[4]。
発言
吉田はウェブサイト『きらきらねっと』上において、
自然のものを食べて、自然な心でおって、自然に体を動かしておればツルツルに生れますよ。みんな、ちゃんと産んだんだ。産むべき人じゃない人は死んだんだよね。 人間はね、いらん遺伝子を排除して良い遺伝子だけでね、ずうっと太古以来、続いてきたんだよ。それが、西洋医学が入ってきてからそういうのを助ける。助かっちゃいかん命が助かって、また悪い種を蒔いとる。
として、現代医学の介入による出産を「産むべきじゃない人」「いらん遺伝子」「助かっちゃいかん命」「悪い種」と述べている[5]。