吉田兄人 From Wikipedia, the free encyclopedia 時代 奈良時代生誕 不明死没 不明官位 従五位下・紫微少忠 凡例吉田兄人時代 奈良時代生誕 不明死没 不明官位 従五位下・紫微少忠主君 聖武天皇→孝謙天皇氏族 吉田連テンプレートを表示 吉田 兄人(きった の えひと)は、奈良時代の貴族・医師。姓は連。典薬頭・吉宜の近親か。官位は従五位下・紫微少忠。 聖武朝の天平20年(748年)10月の皇后宮牒に正七位上・侍医兼皇后宮大属河内大目と名前が現れている[1]。 天平感宝元年(749年)、蓋高麻呂とともに正六位上から外従五位下に昇叙する。これは聖武天皇の病床に侍した労を、黄金産出を機に酬いたものと考えられている[2]。ほどなくして、皇后宮職が紫微中台に改編されると、出雲屋麻呂・中臣丸張弓・葛木戸主とともに紫微少忠となり、引き続き光明皇太后に仕えている。天平勝宝3年(751年)10月、内位の従五位下になった。 官歴 注記のないものは『続日本紀』による。 天平20年(748年)10月:見正七位上・侍医兼皇后宮大属河内大目(『大日本古文書』による) 時期不詳:正六位上 天平感宝元年(749年) 4月14日:外従五位下。天平勝宝元年8月10日:紫微少忠 天平勝宝3年(751年) 10月28日:従五位下(内位) 脚注 [脚注の使い方] ↑ 『大日本古文書』巻三 - 123頁 ↑ 岩波書店『続日本紀』3補注十七 - 49 参考文献 『続日本紀』3 新日本古典文学大系14 岩波書店、1992年 宇治谷孟訳『続日本紀 (上)』講談社〈講談社学術文庫〉、1992年 『日本古代氏族人名辞典』p236、坂本太郎・平野邦雄監修、吉川弘文館、1990年 『日本古代人名辞典』3 - p651、竹内理三・山田英雄・平野邦雄編、吉川弘文館、1961年 この項目は、日本の歴史に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:日本/P:歴史/P:歴史学/PJ日本史)。表示編集 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。表示編集 Related Articles