吉田宗桂
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曽祖父・吉田徳春から室町幕府の医官を務めた吉田家に生まれ、12代将軍・足利義晴の侍医を務める。天文8年(1539年)、吉田家と縁が深い天龍寺の策彦周良に随行して明に渡り、2年間医学を学んで帰国。天文16年(1547年)再度明に渡る[1]。明帝世宗の病を治療、明国で日本名医の神術とたたえられ名声を博し、明帝世宗は恩賞を贈った。
薬能に詳しかったことから、宋の『日華子諸家本草』の著者・陳日華に擬して日華子と号し、意安と称して、宗桂以降代々の吉田家子孫は意安を号とした[2][3][4]。
陰陽五行によって人体の生理現象を説明しようという中国医学の運気論に対する傾斜が激しかった宗桂は、高水準だった数学や天文学も学び取り、明から『聖済総録』200冊、『聴雨紀談』、『文録』、『医林集』10冊、『本草』10冊、『図相南北両京路程』、『杜氏通典』、『奇効良方』、『千金方』など多くの医学書籍を持って日本へ帰国後[5]、宮内卿、法印に叙せられた[6]。