吉田裕 (歴史学者)
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1954年、埼玉県豊岡町(現入間市)生まれ[2]。米軍ジョンソン基地・航空自衛隊入間基地の航空機の爆音を聞いて育つ[3]。1973年 埼玉県立川越高等学校を卒業[4]。東京教育大学文学部に進み、大学では大江志乃夫に師事した[5]。1977年に東京教育大学文学部を卒業し[6]、 一橋大学大学院社会学研究科に進んだ。大学院では藤原彰に師事した[7]。1979年、一橋大学大学院社会学研究科修士課程修了[6]。1983年、一橋大学大学院社会学研究科博士課程単位取得退学[6]。
1983年に一橋大学社会学部助手に着任[6]。1985年に専任講師[6]、1987年に助教授[6]、1996年に教授に昇進した[6]。 2000年より一橋大学大学院社会学研究科教授[6]。2008年、平和と和解の研究センター共同代表[8][9]となった。2018年に一橋大学を定年退職し、一橋大学名誉教授となった[10]、一橋大学大学院社会学研究科特任教授[6]。2019年、東京大空襲・戦災資料センターの館長に就任した[11]。指導学生に平井和子[12]、中村江里[13]、瀬畑源、宇田川幸大、加藤祐介など[14]。
主張
日中戦争中の南京事件の犠牲者数について、秦郁彦の4万人説に対し、便衣兵(ゲリラ)・投降捕虜・不法殺害等の定義の問題を別にしても、①第九師団の敗残兵掃討戦に関しては殲滅数7千人を不法殺害に計上しながら他師団の掃討戦の殲滅数は計上した形跡がない、②スマイス調査による一般市民の推定死者数をより少ない推定である2.3万人に下方修正する根拠が示されていない、③下方修正した一般市民の推定死者数2.3万人にさらに1/2~1/3の割引率をかける意味が不明であることを指摘している。とくに③の割引率は2.3万人全てが不法殺害ではなく、砲撃・銃撃に巻き込まれた市民も含まれているということであろうが、そもそもスマイス調査はそのような軍事行動による死者数と兵士の暴行による死者数を分けて推計値を出しているため、暴行による死者数を取るべきで、割引率をかける意味がないと主張している[15]。