同志社幼稚園
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新島襄は「キリスト教主義の学校は幼稚園から大学に至るまで必要であると確信している」という信条を持っていた。
沿革

新島の没後7年目、1897年(明治30年)6月24日、アメリカンボードから派遣されていたメリー・F・デントンにより、京都市出町枡形町に一民家を借りて出町幼稚園として開園されたが、当時のキリスト教を取り巻く世相は厳しく、明治33年3月に出町幼稚園は閉鎖を余儀なくされた。閉鎖と同時に、同年4月同志社の教師でもあったD.W.ラーネッド園長は、寺町今出川下る西側のラーネッド邸内に私費で園舎を建築、1900年(明治33年)9月に今出川幼稚園として発足。1947年(昭和22年)7月、今出川幼稚園を同志社幼稚園と改称して経営を同志社本部に移し、現在に至っている。2020年3月末に、現在地(京都市上京区寺町通石薬師下る染殿町665番地1)へ移転した。
