名倉淑子
日本のヴァイオリニスト
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経歴
新潟県出身。桐朋女子高等学校音楽科、桐朋学園大学音楽学部にて、斉藤秀雄らに師事。共に首席で卒業した[2]。
ジュリアード音楽院に留学し、在学中の1969年に、桐朋学園時代の仲間達と、東京クヮルテットを結成[2]。ジュリアード弦楽四重奏団に教えを受け、1970年、ミュンヘン国際コンクール弦楽四重奏部門、アメリカのコールマン・コンクールで優勝。これにより世界から注目を浴び、東京クヮルテットのメンバーとして世界各地を演奏旅行を敢行し、数々の国際フェスティバルに出演、ドイツグラモフォンでのレコーディング等で活躍した。 1974年、東京クヮルテットを脱退し、ベルギーに移るも、1年でアメリカに戻り、ソリストとして本格的な活動を開始した。
1977年よりドイツのハンブルクに居を移し、ハンブルク・コンセルバトワールで後進の指導に当たった[2]。1981年よりバンベルク交響楽団のゲストコンサートマスターに就任。同時にバンベルグ弦楽五重奏団のメンバーとしても活躍した[2]。
1988年(平成10年)帰国。神奈川県茅ヶ崎市に住み、母校の桐朋学園大学で非常勤講師を務めた[2]。2000年(平成12年)よりフェリス女学院大学で、特任教授として指導にあたった[2][3]。一方で演奏者としても、ヨーロッパで活躍する音楽家達で結成されたニッポン・オクテットのメンバーとして、また、 水戸室内管弦楽団、及びサイトウ・キネン・オーケストラのメンバーとして活躍した[2]。2014年(平成26年)からは、藤沢市みらい創造財団の主催による音楽会「藤沢にゆかりのある音楽家たち」に出演した[2]。
2018年(平成30年)11月6日、胃癌により満73歳で死去した[1]。同月11月12日には、桐朋の門下生を率いて「弦楽アンサンブル ルーチェ」の演奏会を予定しており、病床でも指を動かして出演を望んでいたという[2]。