周忠
周景の次男。大司農、太尉・録尚書事、衛尉。
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生涯
若くして列位に歴し、累遷して大司農となった。
192年12月、光禄大夫にうつっていた周忠は、皇甫嵩に代わって、太尉・録尚書事となった。
太尉のおり、尚書賈詡と共謀し朱儁を中央に招聘した。大司農の士孫瑞を尊敬しており、自分が三公に推挙された際には士孫瑞を代わりに推挙したという。
193年6月、太尉の周忠は免職になった。その後衛尉となった。
献帝の東帰にて、李傕と董承・楊奉との戦いの中で、李傕らは宮女たちを殺したり誘拐したりして、少府の田芬、大司農の張義、尚書令の士孫瑞が殺された。周忠は司徒の趙温、太常の王偉、司隷校尉の栄邵らとともに捕虜になった。李傕は周忠等を処刑しようとしたが、賈詡が諫めたため、中止した。
それ以降の記述はない。
周忠の子の周暉は、洛陽令であったが董卓が専横をはじめると官を去って帰った。周暉と弟は賓客を好み、江淮間(江水と淮水の間)で盛んになり、馬車は常に百余りが従って出入りした。皇帝が崩御するに及び、周暉は都の情勢不安なことを聞き、周忠に会いに行ったところ、董卓は兵に命じ周暉と弟を殺した。