周胤 From Wikipedia, the free encyclopedia 周 胤(しゅう いん、? - 239年)は、中国後漢末期から三国時代の人物。周瑜の次男。廬江郡舒県の人。兄に周循、妹に周妃。『三国志』呉志に記録がある。 生涯 周胤は父の周瑜の死後、興業校尉に任じられた。孫権から厚遇され、皇族の女性を娶った。兵1000人を授けられ、公安に駐屯した。 黄龍元年(229年)、孫権が皇帝を号すると、都郷侯に封じられた。その後数年間周胤が淫行を繰り返したため、罪を得て廬陵郡に配流された。 赤烏2年(239年)、諸葛瑾と歩騭は連名で上奏し、周瑜のかつての功績に免じて周胤の罪を許すよう求めた。この後、朱然と全琮もこれに同調し、同じ内容の上陳をしたため、孫権は周胤を赦免することを認めたが、まもなく死去したという[1]。 家系図 周栄 周興 周景[ft 1][ft 2] 周崇 周忠 周暉 周異 周峻 周護 周尚[ft 3] 周瑜 周循 周胤 [1]『後漢書』巻45には「興子景」、『三国志』巻54裴松之注には張璠の『漢紀』を引いて「景父栄」とある。 [2]『三国志』巻54には「従祖父景」とある。 [3]『三国志』巻54には「瑜従父尚」とある。 参考文献 陳寿、裴松之注『正史 三国志』、井波律子・今鷹真・小南一郎 訳・解説(ちくま学芸文庫全8巻、1992 - 93年)、※呉書は6・7・8巻、小南一郎訳。 脚注 [脚注の使い方] [1]『三国志』呉志 周瑜伝 Related Articles