和歌山カントリー倶楽部

From Wikipedia, the free encyclopedia

所在地 日本の旗 日本
和歌山県和歌山市梅原585番地
開業 1964年昭和39年)11月29日
運営 メンバーシップコース
和歌山カントリー倶楽部
Wakayama Country Club
和歌山カントリー倶楽部
和歌山カントリー倶楽部の空中写真。
2008年5月3日撮影の6枚を合成作成。
国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)(現・地図・空中写真閲覧サービス)の空中写真を基に作成。
所在地 日本の旗 日本
和歌山県和歌山市梅原585番地
座標: 北緯34度16分12.61秒 東経135度8分10.77秒 / 北緯34.2701694度 東経135.1363250度 / 34.2701694; 135.1363250
概要
開業 1964年昭和39年)11月29日
運営 メンバーシップコース
設計 佐藤 儀一
運営者 和歌山ゴルフ場
コース

OUT IN
HOLEPARYARDHOLEPARYARD
1 5570 1 5485
2 3178 2 4380
3 5570 3 3178
4 4370 4 4350
5 4330 5 3160
6 3126 6 5480
7 4300 7 3163
8 3176 8 4350
9 5610 9 4363
363230 352909

その他
公式サイト 和歌山カントリー倶楽部
テンプレートを表示

和歌山カントリー倶楽部(わかやまカントリーくらぶ)は、 和歌山県和歌山市にあるゴルフ場である。

1955年昭和30年)代初、日本中がゴルフ場新設ブームだったが、和歌山県内のゴルフ場は1956年(昭和31年)開場の「白浜ゴルフ倶楽部」(1956年(昭和31年)開場、設計・佐藤儀一、松山桂司)の一カ所だけだった[1]。そうした状況下で、株式会社毎日新聞社和歌山支局長の原田仁は、1960年(昭和35年)11月11日、会社を退職し、紀ノ川河川敷に9ホール、2,025ヤード、パー31規模のゴルフクラブを開場させた[1]

原田が和歌山県庁のプレスクラブに出入りしていた時、北村弥三郎(後・和歌山カントリー倶楽部創業者)と知り合った[1]。北村は、1926年大正15年)、和歌山県有田に生まれ、野球で有名な箕島高等学校に進み相撲部に入った[1]関西学院大学で相撲部に入り学生相撲で活躍し卒業、株式会社電通大阪支社に就職した[1]。そこで北村は、和歌山県知事小野真次の目にとまり、電通を辞め知事室で働くことになった[1]

スポーツ好きの北村は、原田が開場した紀ノ川の河川敷のゴルフクラブの会員となり、また、原田の事業成功に刺激された[1]。その後、原田から「孝子峠近くに、ゴルフ場向きの山があるが」という話が持ち込まれた[1]。北村は「よし、和歌山カントリー倶楽部を造ろう」と、新たなゴルフ場の建設に向けて経営母体「和歌山ゴルフ場株式会社」を設立した[1]

ゴルフ場の建設用地は、和歌山大阪との県境、孝子峠に近い梅原地区の30万坪の山を買収した[1]。コース設計は、日本アマチュアゴルフ選手権競技4回優勝、「廣野ゴルフ倶楽部」(1932年(昭和7年)開場、設計・C・H・アリソン)クラブ選手権12回優勝の佐藤儀一に依頼した[1]1964年(昭和39年)11月29日、アウトコース9ホールが完成し、開場された[1]1965年(昭和40年)始、増設のインコース9ホールが完成し、18ホール規模のゴルフ場が完成した[1]

佐藤が設計したコースは、打上のコースが多く、砲台型の小さな1グリーンで、廣野ゴルフ倶楽部を超える深さのガードバンカー、グリーンに近づくほど戦略的に緊張させられる18ホールが出来上がった[1]

所在地

〒640-8452 和歌山県和歌山市梅原585番地

コース情報

  • 開場日 - 1964年11月29日
  • 設計者 - 佐藤 儀一
  • 面積 - 990,000m2(約29.9万坪)
  • コースタイプ - 丘陵コース
  • コース - 18ホールズ、パー71、6,139ヤード、コースレート69.2
  • フェアウェー - コウライ
  • ラフ - ノシバ
  • グリーン - 1グリーン、コウライ
  • ラウンドスタイル - 全組セルフプレー、乗用カート使用、希望すればツーサム可
  • 練習場 - 16打席250ヤード
  • 休場日 - 1月1日[2][3]

クラブ情報

ギャラリー

交通アクセス

鉄道

道路

脚注

関連文献

関連項目

外部リンク

Related Articles

Wikiwand AI