喜 (秦)
秦代の官吏
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「編年記」による履歴
以下は出土した睡虎地秦簡の中の「編年記」の記載を基とする[1][2]。
昭王[注釈 2]45年12月甲午(紀元前262年1月14日)、秦の南郡安陸県(現在の湖北省孝感市安陸市)にて誕生[3][4]。この安陸は楚の旧首都郢であり、昭王29年に秦がこの地を攻めて占領した[5]。
今[注釈 3]3年(紀元前245年)、19歳のときに官吏となる。以後周辺の下級官吏を歴任して28歳の時に鄢県の「治獄」となった[6]。「治獄」というのは官職名ではなく、裁判関連の職務を担当したという意味であると思われる[7]。この「治獄」以降は官吏としての記述はない[注釈 4]。
その後に従軍し、今15年(紀元前233年)の平陽の戦いにも参加していたようである[3]。
今28年に始皇帝の安陸巡幸を見る[8][6]。今30年(紀元前217年)をもって「編年記」は終了するために、喜はこの年からそう遠くない時に世を去ったと思われる。この年に喜は46とすれば後述の発掘と合致する[8][6]。
家族として2年下の弟に敢[3][4]、11年下の弟に速[3][4]。子として喜27歳(始皇11年)のときに長男の獲、34歳(同18年)のときに次男の恢、および43歳(同28年)のときに娘がいたと推察される[8][6](妻に関しては記載がない。)。