喜劇 競馬必勝法
From Wikipedia, the free encyclopedia
| 喜劇 競馬必勝法 | |
|---|---|
| 監督 | 瀬川昌治 |
| 脚本 |
井手雅人 瀬川昌治 |
| 製作 | 大川博 |
| 出演者 |
谷啓 伴淳三郎 進藤英太郎 白川由美 京塚昌子 小川知子 山城新伍 |
| 音楽 | 木下忠司 |
| 撮影 | 山沢義一 |
| 編集 | 祖田冨美夫 |
| 製作会社 | 東映東京撮影所 |
| 配給 | 東映 |
| 公開 | 1967年9月18日 |
| 上映時間 | 91分 |
| 製作国 |
|
| 言語 | 日本語 |
| 次作 | 喜劇 競馬必勝法 大穴勝負 |
『喜劇 競馬必勝法』(きげきけいばひっしょうほう)は、1967年9月18日に公開された日本映画。谷啓主演・瀬川昌治監督。東映東京撮影所製作・東映配給。「必勝法シリーズ[1][2][3]」(または「喜劇 競馬必勝法シリーズ[4][5]」)第1作。競馬予想の「社長命令」を受けた競馬狂のサラリーマンとベテラン予想屋がタッグを組んで難レースの予想に挑む姿を通じ、「泣き笑い人生[6]」を描くオールスター喜劇映画。
1967年の「喜劇新路線」として同じ瀬川昌治監督の「急行列車」と共に「必勝法」としてシリーズ化が最初から告知された[1]。
- 大田原源三(予想屋 みちえの患者):伴淳三郎
- 河辺春男(電機メーカー社員):谷啓
- 峯岸(電機メーカー社長):進藤英太郎
- 河辺みちえ(春男の妻 歯科医):白川由美(東宝)
- 大田原ふさ子(源三の妻):京塚昌子(東宝)
- 早川(源三の弟子 真弓の彼氏):山城新伍
- 大田原真弓(源三の娘):小川知子
- 大川慶次郎(競馬評論家):本人
- 加納(コーチ屋の相棒):南利明
- ユミ(ホステス):桑原幸子
- 大田原厳(源三の息子):吉野謙二郎
- 佐藤(春男の同僚):大泉滉
- 山崎(春男の同僚):小林稔侍
- ショーの司会者:ジョージ吉村[注 1]
- 人事課長:杉義一
- ジョッキーの男(コーチ屋の仲間):岡部正純
- 中村(春男の同僚):小松政夫[注 2]
- 重役B:片山滉
- 黒田(峯岸の秘書):村上不二夫
- (役名なし):永井秀明
- 刑事A:植田灯孝
- アナウンサー:鳥居滋夫(フジテレビ)
- 予想屋C:滝島孝二
- 一郎:南幸伸
- ニコヨン:清見晃一
- 助手:須賀良
- 予想屋A:相原弘
- 刑事B:木村修
- 予想屋B:比良元高
- 予想屋D:菅原壮男
- クレジットなし
スタッフ
製作
企画
企画は当時の東映東京撮影所所長・今田智憲[3]。当時は世をあげて"ギャンブル時代"などといわれ、この国家的な傾向を商売に取り入れない法もあるまい、とギャンブルもので新路線を敷きたいと構想した[3]。題名には必ず、"〇〇必勝法"の文字を入れ、その第一弾として企画したのが"競馬"の必勝法で、以降、競輪、競艇、オートレース、麻雀、ポーカーなどを〇〇必勝法として路線化したいという予定があった[3]。このためか製作当時の文献には"必勝法シリーズ"と書かれているが[1][2][3]、競馬ものしか製作されなかったためか、今日の文献等では"喜劇 競馬必勝法シリーズ"と表記されることが多い[4][5]。
河上英一が製作当時の文献に「谷啓、伴淳、三木のり平、白川由美ら出演の『競馬必勝法』とくると、東宝作品とみられるが、これがレッキとした東映作品。なかなか、おもしろくできてはいるが、東映独自のカラーはまったく、くみ取れない。喜劇路線をつくるには、どうしても数少ないタレントを奪い合うから、いたしかたなくもない、とはいうものの、これがはたして、その社のプラスになるかどうか」などと批評している[7]。
撮影
1967年8月、レース開催中の一週間、大井競馬場で連日、キャスト、スタッフが全員参加しロケが行われた[8][9]。全員自腹で馬券を買い、一喜一憂した[9]。伴淳と進藤英太郎は競馬歴20年と豪語し[8]、「仕事の合間に遊べる」と大喜びした[8]。伴淳は「霊感を持って賭ける」と話し「当った、当った!」と大声を発したが、威勢のいいのは声だけだったという。進藤は本作を最後に映画を離れた。瀬川昌治監督は「興奮を味わうため手を出したが手慣れた麻雀と違ってスッてばかりだ。必勝法なんてあるものか!」と腹を立てた[9]。競馬場に初めて来た主演の谷啓は「こんなに面白いとは知らなかった」と話したが[8]、「ぼかァ、積極的に競馬が好きなわけじゃないが」と言いながら競馬新聞と首っ引きで猛勉強。しかしその甲斐なく負け続きで「ぼかァ、勝負事はダメなんだ」と話した。三木のり平は1日だけの特別出演ながら、馬券の方がギャラより高くつき憤慨していた。小川知子は未成年のため、付き人に馬券を買ってもらったが連戦連敗で悲鳴を上げた。勝ったのは白川由美一人だけで、投資を五倍にして回収した。但し掛け金は200円で、それでも「取ったわよ」と絶叫して小躍りした。問題の特別出演・大川慶次郎も全く当たらず「大井競馬はまったくのシロウトで」と言い訳した[9]。
万年ヒラ社員のサラリーマンが、趣味で自身が務める会社社長とツーカーの仲になる設定は後の人気漫画と松竹の人気シリーズに設定が似ている。趣味歴では上のヒラ社員が社長を教える立場が逆転するところも似ている。
競馬中継番組のゲストとして丹波哲郎が本人役で出演し『007は二度死ぬ』日本公開直後の出演で予想を「2ー7」とし、鳥居滋夫フジテレビアナウンサーから「007の丹波さんとしては7の目で勝負を賭けた、といういうわけですね」と言われる。ラストに鳥居アナとのコンビで大川慶次郎も本人役で出演し「競馬に必勝法なんてありません」と言う。
競馬場内のコカ・コーラやファンタが一杯50円で売られている。ペプシコーラとミリンダが売られるシーンもあるが、それらの瓶ケースを大量に山積みしており、今日の炎天下の暑さでは無理と見られる。焼き鳥屋のおあいそ(勘定)が一人650円と今日では考えられない価格。ぐーたら社員の河辺春男(谷啓)の妻が歯科医のみちえ(白川由美)で全然合わない。歯科の治療室の隣りの部屋が台所で自宅マンションの一室で歯科を経営できたのか驚く。ジョッキーが観客席にいるシーンがある。大井競馬場でふんだんにロケが行われており、エキストラとは思えない程の大量に一般人が画面に映り顔もしっかり映る。大田原源三(伴淳三郎)が「オレは女がのさばってる現代の風潮ってのがクソ面白くもない」と今日ではNGであろうセリフをいう。50分頃、進藤、伴淳、谷啓の3人でクラブで飲むシーンで、日本に入って間もないバニーガールが映る。個性の強いレジェンド喜劇役者が大挙出演するため、東映専属の山城新伍(早川役)が持ち味がまだ発揮で出来ない印象だが「不良番長シリーズ」を経て、同種の映画、1970年の『喜劇 ギャンブル必勝法』で『白馬童子』以来の主演を果たす[10]。同じく東映専属の当時18歳の小川知子(大田原真弓役)は、後年の大人の女性イメージもなく声を含めて可愛らしいが、この後、単身で東映本社に乗り込んで啖呵を切り、東映を退社した、と自著で述べている[11]。 河辺(谷)が飲み屋で顔を逆さまにした状態の中村(小松政夫)の口に、上からホワイトホースを流し込む危ないシーンがある。エンディングで河辺(谷)が峯岸社長(進藤)に競馬は金輪際止めて会社の発展にために働きますと宣言し、この言葉に峯岸も感動し「私も競馬は止める。共に会社の発展のために頑張ろう」と誓いながら、何の説明もなく次に二人とも競馬場で競馬を楽しむシーンが映り意味が分からない。
影響
最初からシリーズ化は決定していたが[1]、好評を受け[6]、予定通りシリーズ化され、「必勝法シリーズ」「喜劇競馬必勝法シリーズ」として『喜劇 競馬必勝法 大穴勝負』(1968年3月)『喜劇 競馬必勝法 一発勝負』(1968年9月)を合わせ、シリーズ三作品が製作された[4][5]。
瀬川昌治が1968年に松竹に移籍したこと、東映のお家騒動で[12]、今田智憲も1968年に製作の中枢から傍系の東映芸能社長に左遷させられ[13]、岡田茂が1968年8月31日付けで、一映画会社の社長の立場に匹敵する大きな権限を持たされた[14][15][16]。岡田の推進するエロと暴力路線が一層強化され[17][18]、善良性映画は東映ラインアップから姿を消した[17]。前述の競馬以外の、競輪、競艇、オートレース、麻雀、ポーカーなどの〇〇必勝法も製作されることはなかった。