小林稔侍
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| こばやし ねんじ 小林 稔侍 | |||||||||||
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| 本名 | 小林 稔侍(こばやし としじ) | ||||||||||
| 生年月日 | 1941年2月7日(85歳) | ||||||||||
| 出生地 |
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| 身長 | 180 cm | ||||||||||
| 血液型 | A型 | ||||||||||
| 職業 | 俳優 | ||||||||||
| ジャンル | 映画・テレビ映画・テレビドラマ | ||||||||||
| 活動期間 | 1962年 - | ||||||||||
| 活動内容 | 1962年:東映ニューフェイス | ||||||||||
| 配偶者 | 独身(2017年死別)[1] | ||||||||||
| 著名な家族 |
小林健(長男) 小林千晴(長女) | ||||||||||
| 事務所 | 鈍牛倶楽部 | ||||||||||
| 公式サイト | 所属事務所公式プロフィール | ||||||||||
| 主な作品 | |||||||||||
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映画 『地獄の掟に明日はない』 『新仁義なき戦い 組長の首』 『暴走パニック 大激突』 『楢山節考』(1983年) 『あぶない刑事』シリーズ 『鉄道員(ぽっぽや)』 『星めぐりの町』 テレビ作品 『キャプテンウルトラ』 『バーディー大作戦』 『プロハンター』 『はね駒』 『名無しの探偵』シリーズ 『なんでも屋探偵帳』シリーズ 『HOTEL』 『ちょっと危ない園長さん』 『味いちもんめ』シリーズ 『税務調査官・窓際太郎の事件簿』シリーズ 『京都南署鑑識ファイル』シリーズ | |||||||||||
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小林 稔侍(こばやし ねんじ、1941年〈昭和16年〉2月7日[注釈 1] - )は、日本の俳優である。本名は、「こばやし としじ」[2]。
身長180cm、血液型はA型。鈍牛倶楽部所属。かつらぎ町観光大使[3]。和歌山県伊都郡かつらぎ町出身[2]。和歌山県立笠田高等学校卒業[2]。
父親は洋服の仕立て職人。母親と10歳年上の兄が居た。猛勉強をし、国立の和歌山大学教育学部附属中学校に入り、1時間かけて通学していた[4]。この学校を受験した理由は、当時恋愛に憧れを持っていた小林に友達が「あのな、和歌山大学(学芸学部)附属中学に通う女の子はかわいいらしいで」と耳打ちしたことにより、心底行きたいと思ったからで、通学時も歩きながら勉強していたという[5]。中学生の頃から高倉健のファンで映画界に憧れを持っていた[6]。「おふくろに家を建ててやりたい」という一念で映画界を志す[7]。第10期東映ニューフェイスの試験日と大学の入試日が重なり迷った挙句、親には大学入試へ行くと嘘をつき、学生服姿で試験を受け合格した[2]。同期に池田駿介・吉田豊明がいた。当初は本名で活動していた[8]。
デビュー後の1960年代初めから1970年代中頃まで、主に東映東京製作による高倉健・千葉真一・梅宮辰夫ら主演のアクション映画・仁侠映画やアクションドラマ・刑事ドラマ・特撮番組などに出演。
駆け出しの頃は、トイレの金隠しに頭を突っ込んで最期を迎える《ギャングA》や[2]、汚い油の浮いた漁港に落ちて死ぬ役などの被害者役が多かった[2]。小林だけではなく、ロケ現場で進行係が「誰か海に落ちるヤツいないかあ!1800円!」と叫ぶと、仕出し(大部屋俳優)の俳優が早い者勝ちで手を挙げたという[2]。当時はこうした経験も楽しかったと話すが[2]、1986年の『はね駒』出演時、東映ニューフェイス第10期18人のうち、現役の役者として生き残っていたのは、小林と吉田豊明の二人だけだったという[2]。
1967年の『キャプテンウルトラ』でレギュラー出演をしていたが、初めてポスターに名前が刷り込まれた映画は、1970年の『やくざ刑事』である[9]。深作欣二の推薦でピラニア軍団のメンバーになり[10]、『新仁義なき戦い 組長の首』では当初、バーテンダー役でワンシーンのみの端役出演だったが、監督の深作から主人公の弟分役へ抜擢された[注釈 2]。
役者として最初に評価されたのは、セリフなしで好演した1978年の『冬の華』で[2]、小林も忘れられない一本と述べており、「台詞が一言もない小林稔侍が抜群だ」と掲載された1978年5月24日付スポーツニッポンの映画評を宝物にしているという[13]。石井聰亙監督に請われて出演した1980年の『狂い咲きサンダーロード』あたりから善人役の比率が増え[2]、1985年の大林宣彦監督の『さびしんぼう』では、主人公の父親役を好演[2]。同年の『夜叉』では、高倉健の弟分役まで出世した[2]。1986年に『はね駒』で主人公の父・橘弘次郎にキャスティングされ、転機を迎える[2]。無口な父役が好評でお茶の間にも知られることになったが[2]、この時点でノンクレジットの映画も含めると出演作は約200本あった[2]。
1989年11月14日には『なんでも屋探偵帳』で初主演。同作はシリーズ化され、このほかにも、表の顔は冴えない税務署の署員で、裏の顔は政界の"疑獄"を暴く税務調査官を演じる『税務調査官・窓際太郎の事件簿シリーズ』など、2時間ドラマで多数主演を務めた。特に、2時間ドラマ枠で長年映像化された松本清張原作作品の常連俳優でもあった。また、『学校III』以降、山田洋次作品の常連出演者である。
人物
- 中学生の頃からファンの高倉健は、東映に入って以後大部屋時代からの恩人であり、何度も小遣いをもらったり[9]、小林が家を建てた時や結婚する際に保証人になってもらったという[17]。高倉同様、小林も酒が飲めない甘党[2]。高倉に対する恩や思い入れは強く、長男に「恩を一生忘れないこととありがとうの思いを込めて」、高倉と同じ「健」と名付けたり[18]、「健さんのためなら腎臓を一つ提供しても構わない」と思っているほどである[19]。「健さんがいたから頑張れたようなものです。あの人と一緒にいられるなら役者がじゃなくてもいいっていうくらいに…そりゃ、物もいっぱい貰っていますけど(笑)。もっと精神的なもので。オレが頼れるのはあの人しかいなかった」などと男の一生をかけてまで惚れ抜く先輩を持てたと話した[2]。そういうこともあって「端役でなく、ちゃんとした役で健さんと共演し、恩返しがしたい」との思いがあり、1999年の映画『鉄道員(ぽっぽや)』でその願いが叶うこととなった。その『鉄道員(ぽっぽや)』で、第23回日本アカデミー賞の最優秀助演男優賞を受賞した。『鉄道員(ぽっぽや)』の中で高倉と小林が抱きしめ合うシーンがあり、これについてある映画評論家が講演会で「あれはホモじゃなきゃできない」と発言したのが元で、ある女性週刊誌に「高倉健と小林稔侍はホモ」と大見出しにされて掲載されたこともあった[20]。
- 『狂い咲きサンダーロード』ではオファーをしてきた石井聰亙が自身のファンであるという理由だけで、小林は台本も読まずに出演を快諾した[2]。撮影中は経験不足からカースタントをうまくこなせないスタッフをサポートするなどして、過酷な現場を支えるなどの献身ぶりだった。苦労の末、同作で小林は暴走族あがりの右翼でゲイという役を演じている。
- 上記の松本清張原作作品については、1980年の映画『わるいやつら』から2011年のテレビドラマ『砂の器』まで、単独主演こそないものの、30年以上にわたる出演歴がある。映画では清張作品2作目出演となる82年の『疑惑』が最後になり、その後のテレビドラマでの清張作品初出演作も85年の『わるいやつら』。同作では映画版同様の脇役で、以後長年テレビドラマの清張作品で全12作にわたり活躍、映画とあわせて14作の清張作品に出演した。
- 小林の清張作品出演歴の特徴は、「同じ作品の複数映像化に際しての複数回出演」が極めて多い、という点にある[注釈 3]。例えば、『疑惑』では、1982年・1992年・2009年のテレビドラマ版に出演、それぞれ異なる役で同原作作品に計3回出演した(当該作品項目も参照)。また、『夜光の階段』でも、1986年NTV版・1995年単発ドラマ版(準主演)・2009年連続ドラマ版(1995年版と同役)で、計3回出演した。
- 1991年に出演したハウス食品「咖喱工房」のCMで、当時大人気子役だった安達祐実と共演。「(当社比)具が大きい!」のキャッチコピーとともにユーモラスなお父さんを演じたことで、1990年代は「理想のパパ」ランキングで上位に食い込んだ[21]。幾つかのバージョンが制作されたが、安達とじゃんけんをして、小林のグーに対して安達はパーを出すも「グー(具)は大きい方が勝ち」と言って小林が先にカレーを食べてしまう、というバージョンのものでは「安達がかわいそう」という声があがり、続編では安達が仕返しするバージョンも制作された。
- 馬や牛が大の苦手。子供の頃に遊びで牛の腹をくぐろうとした時に蹴られ、5メートルくらい飛ばされたという出来事が原因とのことで、撮影で馬に乗ることになった時にためらったことも何度かあったという[22]。
- 東映入社直後の大部屋俳優時代は、東京目黒にあった東映の寮に住んでいた[23]。1962年に岡田茂 (東映) が東映東京撮影所所長になり、茂が一家で東京に来たがすぐに家が見つからず、一家も同じ寮に住み、小林と隣り部屋になった[23]。この関係で茂の家族とも付き合いがあり[24]、2011年の茂の葬儀では岡田裕介から司会を頼まれた[23][24]。
- 撮影所時代、誰も自分の名前を「としじ」 と読めず、名前に「念」の字があることから「ねんじ」と呼ばれることが多かった。そのため、所属事務所に芸名変更届を出そうとしたことがある[25]。
- 過去に参加した作品の中で思い出深い作品について質問された際には「僕にとってはすべての作品が同じ思いです。それは、僕に仕事をくれる人たちは『あいつは頑張っているのでボーナス(仕事)をやろう』と言う気持ちで持って来てくれていると思っているからです。だから、どんな役でも仕事でも一生懸命頑張ることができるんです。ありがたいことにこうやってみんなにヨイショされ、今まで仕事を続けることができました」と答えている[25]。
- 2021年公開の『キネマの神様』出演以降、高齢やコロナ禍の撮影制限、スタッフの若返りなどの影響で積極的な芸能活動は行っておらず、映画関係者のお別れ会以外で公の場に姿を見せることは少なくなっている[26]。2025年、旧幾寅駅の待合室内にある『鉄道員(ぽっぽや)』資料館で流されるナレーションを吹き込んだ[27]。
受賞
- 第23回日本アカデミー賞 - 最優秀助演男優賞 『鉄道員(ぽっぽや)』(2000年)
- 第26回日本アカデミー賞 - 優秀助演男優賞『たそがれ清兵衛』(2002年)
- 第12回東京スポーツ映画大賞 - 助演男優賞『たそがれ清兵衛(2002年)
- 和歌山県文化表彰 - 文化賞(2018年度)