喜多六平太 (14世)
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東京生まれ。初名は千代造、元の名字は宇都野。旧幕臣・宇都野鶴五郎と、十二世喜多六平太(能静)の三女・まつの間の次男。1879年(明治12年)喜多家に入り、1884年(明治17年)10歳で14代目宗家を継承、1894年(明治27年)六平太を襲名する。家元とはいえ、幼時は喜多流が極度に衰退しており、梅津只円や友枝三郎など多くの弟子筋や分家に師事し、苦心の末に独自の芸を確立した。新しい技法は取り入れず、伝統的な芸風を維持し、昭和を代表する名人となった。1943年(昭和18年)能楽協会の設立委員を務める。1947年(昭和22年)日本芸術院会員。 1949年(昭和24年)10月、喜多を含む日本芸術院会員8人が皇居に招かれ、午餐の御陪食を賜る。食後のお茶の席で、自身が少年の頃に明治天皇の御前で能を演じたことを語る[1]。 1953年(昭和28年)文化勲章受章。1955年(昭和30年)重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定。主著は『六平太芸談』がある。墓所は代々浅草花川戸の九品寺だったが、関東大震災後の区画整理により、世田谷区浄真寺に改葬されている。
