四日市空襲 From Wikipedia, the free encyclopedia 第二次世界大戦 > 太平洋戦争 > 日本本土の戦い > 日本本土空襲 > 四日市空襲 四日市空襲(よっかいちくうしゅう)とは、第二次世界大戦末期にアメリカ軍により行われた三重県四日市市への空襲(戦略爆撃)のことである。 1980年6月、鵜の森公園に四日市空襲殉難碑が建立された[1]。 海軍第二燃料廠をはじめ多くの工場群を擁した四日市は、アメリカ軍の重要攻撃目標とされた。 1945年(昭和20年)6月18日午前0時45分、アメリカ軍B-29戦略爆撃機89機が焼夷弾11,000発・567.3トンを投下。 人的被害は、被災者47,153人、死者736人、負傷者1,500人、行方不明者63人。約1時間の絨毯爆撃で全市の35%が焼失、市街地は焦土と化し、特に塩浜地区の被害が大きかった。 以後、8月8日まで合計9回の空襲を受け、海軍燃料廠をはじめとする工場群は壊滅的被害を受けた。 全空襲による人的被害は、被災者49,198人、死者808人、負傷者1,733人にのぼった。 7月24日には、模擬原爆とされるパンプキン爆弾も投下された。着弾地は市泊村安政池とみられる[2]。 日程 空襲のあった日は昭和20年6月18日、22日、26日、7月9日、24日、28日、30日、8月2日、8日の計9日間であった。 脚注 ↑ 総務省:四日市空襲殉難碑 ↑ 読売新聞:模擬原爆の着弾地判明 関連項目 日本本土空襲 三重県内では四日市のほか津、桑名、宇治山田、鈴鹿、松阪、上野などが無差別爆撃の被害を受けた。 四日市市 太平洋戦全国戦災都市空爆死没者慰霊塔 典拠管理データベース: 国立図書館 日本 この項目は、三重県に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(Portal:日本の都道府県/三重県)。表示編集 この項目は、戦争に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:戦争/PJ軍事史)。表示編集 Related Articles