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四阿屋神社

佐賀県鳥栖市にある神社 From Wikipedia, the free encyclopedia

四阿屋神社(あずまやじんじゃ)は、佐賀県鳥栖市牛原町にある神社である[1]。養父郡の総社であり[1]古くは、四阿屋宮(あずまやぐう)と称した。旧社格は郷社[1]。

所在地 佐賀県鳥栖市牛原町
位置 北緯33度23分30.67秒 東経130度28分45.72秒
主祭神 日本武尊
社格等 郷社
概要 四阿屋神社, 所在地 ...
四阿屋神社
社殿・石段と楠
社殿・石段と楠
所在地 佐賀県鳥栖市牛原町
位置 北緯33度23分30.67秒 東経130度28分45.72秒
主祭神 日本武尊
社格等 郷社
創建 伝天智天皇元年(662年)
例祭 4月1日
主な神事 御田舞(蔵上老松神社)
地図
四阿屋神社の位置(佐賀県内)
四阿屋神社
四阿屋神社
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歴史

天智天皇元年(662年)尾張の熱田神宮を勧進したのが創建と伝えられ、延暦10年(791年)に住吉明神と春日明神を併祀しており、当初は東屋明神といった[1]。『佐賀県神社誌要』によれば、この地は古く景行天皇が筑紫御巡狩の折りに駐輦し、その後日本武尊が熊襲征伐の際にも駐輦したという山里で、行宮(仮屋)を意味する東屋(あずまや)の名を称し、地名にもなったという。後に字は四阿屋に転じ社名も改められた[1][2]。

『類聚符宣抄』には、東屋明神として延喜20年(920年)11月に正六位上から従五位下に列せられた記載がある。『河上神社文書』の正応5年(1292年)の「河上宮造営用途支配惣田数注文」からは、当時東屋明神が惣田3町3反を有したことも分かる[1][2]。

牛ノ原別当と呼ばれる社僧がいて、往時には神職・社僧計780人余りに及ぶ勢力を持っていたというが、天文年間に大友義鎮の来攻により社殿が焼失し社領は没収された。勝尾城主筑紫広門により再興が図られるも、島津義久の来攻により再び焼失し残っていた文書等も失われた。難を逃れた神職により御神体は守られ、祠として再建される[1][2]。

江戸期には養父郡の総社として対馬藩の庇護を受ける。文禄元年(1592年)一帯が宗義智の領地となると、社殿が改築され養父郡の宗廟に定められる[1][2]。明暦3年(1657年)には宗義成が社殿を再建し社号を四阿屋宮に改めた。宝暦10年(1760年)には現在とほぼ同じ社容になった[1]。

近代社格制度に基づく旧社格ははじめ村社だったが、1881年(明治14年)に郷社となった。このとき、山神社(大山祇尊)および田代神社(豊受大神)を合祀している[1][2]。例祭はかつて2月15日だったが、大正年間までに4月1日に変更されている。『佐賀県神社誌要』(1926年刊)に記載の氏子戸数は620余戸[2]。

例祭である4月1日の神幸祭ではかつて、養父郡の総社として牛原の獅子舞、宿の鉦浮立、養父のはぐま、蔵上の御田舞という各村の芸能が奉納されていた。御田舞については場所を蔵上町の老松神社に移して存続している[3]。

祭神

  • 主祭神:日本武尊
  • 住吉大明神(住吉大神)
  • 志賀大明神(志賀大神)
  • 大山祇尊
  • 豊受大神

御田舞

「四阿屋神社の御田舞」が奉納されている蔵上老松神社

四阿屋神社の御田舞(あずまやじんじゃのおんだまい)は、鳥栖市蔵上町の老松神社(蔵上老松神社)で秋に奉納される神事[3][4]。老松神社のおくんちである10月20日の前後となる第三もしくは第四日曜日に催される[3][4]。

田植えを中心とする農耕の所作を演じ豊作を祈願するもので、田遊び(御田植・田祭り)の類型をもつ[1][3]。出演者は30名ほどですべて男性。仮設の3間四方の広さの舞台で、田打ち、代踏、田植えの所作や舞が演じられ、最後は勇壮な鬼舞で締められる約40分の演目[3][4]。子供へと農耕所作を伝承する性格もあると考えられる[1]。

1959年(昭和34年)3月20日に佐賀県の重要無形文化財に指定されている[4]。また、1976年(昭和51年)12月25日には国の記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財(選択無形民俗文化財)に選択されている[5][6]。

脚注

参考文献

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