国司憲一郎
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くにし けんいちろう 国司 憲一郎 | |
|---|---|
| プロフィール | |
| 出身地 |
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| 生年月日 | 1972年1月12日(54歳) |
| 血液型 | AB型 |
| 最終学歴 | 明治大学 |
| 勤務局 | RSK山陽放送 |
| 部署 | ラジオ局ラジオ制作部長 |
| 職歴 |
アナウンス部(1995年4月-2006年3月) →報道部(2006年4月-2007年3月) →四国支社報道部(2007年4月-2010年3月) →報道部(2010年4月-2011年3月) →アナウンス部(2011年4月-2019年9月)→報道制作局アナウンス部主査(2019年10月-2022年2月)→報道制作局アナウンス部長(2022年3月-2025年2月) |
| 活動期間 | 1995年 - |
| ジャンル | 報道、バラエティー |
| 配偶者 | あり |
| 公式サイト | 公式プロフィール |
| 出演番組・活動 | |
| 出演中 | 『ちゃんねるロック』 |
| 出演経歴 |
『VOICE21』 『国司憲一郎のリンだRiNだ』 |
国司 憲一郎(くにし けんいちろう、1972年〈昭和47年〉1月12日 - )は、RSK山陽放送(RSK)のアナウンサー。愛称は国司くん(VOICE21時代より)ないしは国司さん(イブニングDonDon時代以降)。
- 山口県出身の父親と、愛媛県出身の元看護師の母親が、それぞれ大阪勤務時に知り合い、憲一郎が生まれた。
- 一人っ子である。
- 高校時代は男子高に通っていた。また、母親は看護師を辞めた後、女子校の事務員をしていた時期があったという(2020年5月23日放送、RSKラジオ『国司と武田の土曜番長』より)。
- その後家族で名古屋市へ移住。憲一郎は浪人時代に河合塾の千種区本社の校舎へ通っていた。
- 明治大学卒業後、1995年RSKに入社。アナウンス部に配属(同期に伊藤奈美、花村恭子、渡邊ありさ(旧姓:笹岡))。
- 1997年から2000年まで『VOICE21』2代目レポーターとなり地域における知名度を上げた。
- 当時より『VOICE21』ではグルメ情報に比重が置かれるようになっていたため、食レポの仕事が増えた。が、同時に担当後期になると体重・体格も増加して視聴者からは国司の成人病を心配する声も上げられるようになった。番組内では「ディレクター(あるいは当時のアナウンス部長)が奥さんに涙とともに直訴された」という名目の下で、スポーツクラブ巡りなどを主軸とする国司のダイエット企画も幾度か組まれた。
- 2006年の報道部への異動に関して、上述の「奥さんの直訴」ネタと絡めて語られる事があった。
- 2009年現在、実家は父の故郷である山口県に構えている。
- 大学とRSKアナウンスの先輩にあたる浜家輝雄からは、これまで3度番組枠を受け継いでいる(『VOICE21』、『国司憲一郎の元気一番!』(前身は『ハマイエてれび回覧板』)。『リンだとRiN太の土曜番長』(前身は『はまいえサタデー〜白雲悠々〜』))。
- カラオケが上手い。
- 公休日に『あもーれマッタリーノ』宛に一般リスナーに紛れ込んで、国司(くにつかさ)というラジオネームでメールを送ることがあり、奥富亮子により紹介される。
- 大の読売ジャイアンツファン。
- 2026年現在入社年が一番が早かった事もあってか、RSKの番組内では「○○アナウンサー」或いは「○○さん」とは呼ばずに「○○」と呼び捨てで後輩のアナウンサーを紹介する事が多い。
- 2022年3月の人事異動により、奥富亮子の後任として、報道制作局アナウンス部長を3年間務めた。その後、ラジオ制作局長に異動となった。