国境地帯入国管理機構
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| 国境地帯入国管理機構 နယ်စပ်ဒေသ လူဝင်မှုကြီးကြပ်ရေးအဖွဲ့ Border Area Immigration Control Headquarters | |
|---|---|
| 概要 | |
| 所在地 | ラカイン州 |
| 設置 | 1992年 |
| 廃止 | 2013年 |
国境地帯入国管理機構(こっきょうちたいにゅうこくかんりきこう、通称:ナサカ、ビルマ語: နယ်စပ်ဒေသ လူဝင်မှုကြီးကြပ်ရေးအဖွဲ့、通称:နစက、英語: Border Area Immigration Control Headquarters)は、ミャンマー西部ラカイン州北部において入国管理および治安維持を担当した行政機関である。
1992年に設立され、ミャンマー軍(国軍)、ミャンマー警察、入国管理当局、税関などで構成され、主にバングラデシュ国境地帯の監視や住民管理に従事した。ロヒンギャ住民に対する厳格な統制や人権侵害が国際的に指摘される中、2013年に政府により解体された[1]。
ミャンマーは独立以来、「西門の危機」と呼ばれるバングラデシュからのムスリムの不法移民に危機意識を持っていた。国家法秩序回復評議会(SLORC、のちに国家平和発展評議会〈SPDC〉)時代に、第一書記と首相を務めたキンニュンは、その回顧録の中で「国土はミャンマーの3分の1しかいないのに、人口は3倍もあるバングラデシュは、領土拡張の意思がある」「ベンガル人[注釈 1]」は一夫多妻制であり、ラカイン州北部におけるベンガル人の割合は年々増加している」と危機感を顕にしている[2]。
1991年から1992年にかけて起きた国軍の「清潔で美しい国作戦」による約25万人のロヒンギャ流出劇は、軍政および国軍にとっては、「西門」の防衛を強化する契機となったとされる[3]。
組織と任務
活動
ナサカの公式任務は多岐に渡ったが、その実態はロヒンギャを厳格に管理し、その人口を抑制することであった。その過程でさまざまな人権侵害が生じたと指摘されている。
婚姻許可
ナサカ管理下のラカイン州北部では、ロヒンギャの人々のみ結婚と離婚は許可制とされ、一夫一婦制が強制された。また、死別や離婚後の再婚については、前の配偶者と別れてから3年が経過しなければ認められないという厳しい待機期間も設けられた[4]。
離婚が認められるのは1回だけで、しかも「然るべき理由」がある場合にのみに限定的に認められるだけだった。具体的には、夫婦のいずれかがバングラデシュへ移動したことを理由とする離婚や、年長夫婦の離婚は認められなかった。さらに一度の結婚でもうけられる子供の数は2人まで、女性がもうけられる子供の数は生涯4人までという出産制限があったとされる[4]。
そもそも当局から結婚の許可を得るためには、多額の手数料を支払わなければならず、そのために結婚を諦める男女もいたと報告されている。家族の死亡届や出生届を当局に報告する際にも当局に手数料を支払わねばならなかった[5]。
移動の規制
アムネスティ・インターナショナルの報告書によれば、ラカイン州北部に住むロヒンギャの人々が自分の村を離れる際には、当局(ナサカや村落平和発展評議会〈VPDC))からの許可が必要とされていた。特に2003年頃から厳格化されたのだという。許可の取得には時間や費用がかかるうえ、恣意的に拒否されることも少なくなく、人々は生計の機会や適切な医療へのアクセスを制限され、生活のあらゆる側面に深刻な影響が及んでいたと指摘されている[6]。
強制労働・強制課税
アムネスティ・インターナショナルの報告書によれば、ナサカは、ラカイン州北部に住むロヒンギャの人々に強制労働を課していたとされる。その内容は、ナサカのキャンプの維持・設営、道路補修、ナサカが所有するプランテーションでの労働、キャンプへの薪の提供、水汲み、レンガ焼き、村での夜の歩哨などだった[7]。
このような強制労働はミャンマーでは一般的だが、ラカイン州北部ではラカイン族は対象外となっており、労働を逃れるための賄賂を支払えないロヒンギャの極貧層が徴集されていたのだという。ただし、国際機関が調査に乗り出した2001年頃から僅かながらも賃金が支払われるようになったと報告されている[7]。
また、ラカイン州北部に住むロヒンギャの人々は、薪や竹の採集、死亡届や出生届、家畜や果樹、サッカーの試合などあらゆる分野で、当局による恣意的な課税にさらされていたとも報告されている[8]。
土地の没収と強制移住
ラカイン州北部における仏教徒の人口を増やすために、ナサカはラカイン州北部に「ナタラ」と呼ばれるモデル村を24か所設置した。ナタラに移住させられたのは、ビルマ族の貧困層、下級役人、元囚人、反政府活動家、バングラデシュとチン州の国境地帯に住んでいた少数民族などであった[9]。
ナタラは約100世帯が住めるように建設され、家族ごとに1~4エーカーの土地、住居、家畜などが支給されたとされる。しかし、ナタラの建設に伴い、ロヒンギャ住民が強制労働に従事させられたり、土地が没収されたり、強制移住させられた事案が報告されている[9]。