古代「和名抄」井上郷の地といわれ、名方郡条理地割が残る。中世には平通盛が花園館を築き、江戸後期まで旧河道である御所池があった。江戸期より明治30年代まで藍作が盛んであったが、大正末期には養蚕が盛んになり自然堤防帯は桑畑になった。
昭和7年から同9年までに飯尾川の改修工事が完成した為、内水面災害は減少し、旧河道の一毛田に客土して二毛田化された。昭和5年頃より養蚕が衰退し、桑畑の水田化が進められ、酪農や水稲作、ホウレンソウ・キャベツを中心とする蔬菜園芸を組み合わせた複合経営の農業が盛んとなる。
1967年(昭和42年)に名東郡国府町が徳島市に編入し、現在の町名となった。