1924年(大正13年)に川崎車輛にて小野田鉄道24 t 積オテセ1形12両(オテセ1- オテセ12)が製造された。その後形式名はセサ1形に改称された。
本形式は鉄道省連絡直通貨車に指定され、識別のため形式番号の下に二重下線がひかれた。
台車は度重なる脱線事故の対策により、ツル巻き式バネより板バネ式に改められた。
小野田鉄道は、戦時買収により1943年(昭和18年)4月1日に国有化され、形式名はセサ30形(セサ30 - セサ41)に変更された。
車体塗色は黒で、外観は一見すると底開き式にみえるが側開き式である。
1955年(昭和30年)8月20日より廃車が始まり最後まで在籍した2両(セサ34, セサ41)が1957年(昭和32年)7月1日(実施日、公布日は同年6月27日)に廃車となり同時に形式消滅となった。最終配置は全車広島鉄道管理局重安駅であった。