土井雅弘

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国籍 日本の旗 日本
出身地 山口県光市
生年月日 (1972-06-16) 1972年6月16日(53歳)
身長
体重
189 cm
75 kg
土井 雅弘
日鉄ステンレス硬式野球部 投手コーチ #58
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 山口県光市
生年月日 (1972-06-16) 1972年6月16日(53歳)
身長
体重
189 cm
75 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 投手
プロ入り 1995年 ドラフト3位
初出場 1997年10月5日
最終出場 2003年9月17日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴
  • 日鉄ステンレス山口シーガルズ
    日鉄ステンレス

土井 雅弘(どい まさひろ、1972年6月16日 - )は、山口県光市出身の元プロ野球選手投手)。

プロ入り前

山口県立下松工業高等学校を卒業後、新日鐵光野球部入り。1995年には野球部休部に伴い、新日鐵八幡に転籍した。

1995年には都市対抗野球ヴィガしらおい戦で先発勝利[1]日本選手権でも初戦に先発して東芝を相手に8回を投げたが降板後に逆転負け。同年ドラフト3位で福岡ダイエーホークスに指名された。当時はノーワインドアップで投げる速球が武器であった。背番号24

ダイエー時代

同じ左腕の佐久本昌広と共に期待されたものの、制球難や故障などが災いして一軍に定着できず、春先やシーズン終盤に一軍に顔を出すだけの年が続いた。

2000年には、左のエースだった工藤公康が移籍退団し、工藤の後釜を期待された佐久本をはじめ左の先発陣が手薄になったチーム事情の中、5月に一軍昇格、先発ローテーションの一翼を担い、7月31日の対オリックス戦では、無四球完封試合を達成する(同年のパリーグでこれを達成したのは他に小林宏のみ)。かつては速球派だったストレートは故障によって直球は140km/hそこそことなっていたが、その長身と王貞治監督がパラシュートボールと命名したスローカーブを武器に自己最高12試合に先発し(左腕ではこの年チーム最多の先発登板)、3勝4敗の成績を収めリーグ優勝に貢献したが、シーズン後半には二軍降格、日本シリーズには出場できなかった。特にこの年左投手を苦手としていた西武ライオンズ戦に強さを見せた。

2001年には再び故障に泣かされリリーフの1試合のみの登板となる。

2002年もわずか1試合の登板に終わり、同年オフに戦力外通告を受けた。

オリックス時代

2003年にオリックスにテスト入団。チームの左腕不足もあり中継ぎとして自己最高の27試合に登板し2勝を挙げるが、チームの投手陣崩壊に合わせるように夏場以降失点する試合が続き、防御率10点台に終わり、同年再び戦力外通告を受け退団した。

現役引退後

2021年に古巣の新日本製鐵光を前身とする日鉄ステンレス山口シーガルズ(現・日本製鉄山口硬式野球部)の投手コーチに就任した[2]2026年現在は同チームのヘッドコーチを務める。

詳細情報

年度別投手成績





















































W
H
I
P
1997 ダイエー 22000100--1.000328.052400400222.251.13
1998 33100100--1.0006715.112112001311442.351.57
1999 10000000------253.1709000009924.304.80
2000 1412211340--.42931769.07154000422034334.301.61
2001 10000000------60.2201010003227.004.50
2002 10000000------71.030000100200.003.00
2003 オリックス 271000230--.40018834.255824112110483910.132.28
通算:7年 4918311770--.500642132.01551690128141102896.071.86
  • 各年度の太字はリーグ最高

記録

背番号

  • 24 (1996年 - 2002年)
  • 36 (2003年)

脚注

関連項目

外部リンク

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