土居龍太郎
From Wikipedia, the free encyclopedia
経歴
プロ入り前
高知高校時代は高知商業高校の藤川球児、明徳義塾高校の寺本四郎と並んで“高知三羽烏”と称される。1年秋は四国大会準決勝で敗れ、2年春は県大会優勝も四国大会を賭けたチャレンジマッチで明徳・寺本に完封負け。2年夏の県大会は準決勝で藤川も投げた高知商に敗退。2年秋は県大会準決勝で明徳の寺本と投げ合って1失点完投負け、3年春は県大会優勝後のチャレンジマッチで明徳の高橋一正、寺本と投げ合い延長11回を勝利すると四国大会優勝。夏は高知大会準決勝で高知商・藤川に投げ勝つが決勝で明徳義塾・寺本と投げ合って延長11回の末に敗れ[1]、甲子園出場は果たせなかった。
法政大学に進んでからは同じリーグの同期に和田毅(早大)、多田野数人(立大)、長田秀一郎(慶大)らがいる中で大学通算24勝、2年春秋ベストナイン。なおこの4人は「BIG4」と呼ばれ、それぞれ2年生時からエースとして活躍した。2、3年春は浅井良とのバッテリーでリーグ優勝に貢献、2年の大学選手権では準々決勝で吉見祐治(東北福祉大)と投げ合うが敗れる。4年春の早大1回戦では和田と延長12回を投げぬき、鳥谷敬、青木宣親、田中浩康らを擁する早大打線を相手に0-0の引き分けとなるなど、「和田に負けない土居」の異名もとった。同期に後藤武敏、4年の一時はバッテリーも組んだ河野友軌がいた。
プロ入り後
2002年のNPBドラフト会議で、自由獲得枠として横浜ベイスターズに入団、同年12月2日に契約金1億5000万円プラス出来高払い5000万円、年俸1500万円の契約条件で横浜と契約した[2]。背番号はかつてのエース・平松政次が着用していた27[2]。
プロ1年目の2003年は、4月20日に阪神甲子園球場で開催された対阪神タイガース戦でプロ初登板し、金本知憲、濱中治、桧山進次郎と続く阪神のクリーンアップを三者凡退に打ち取った。その後はサヨナラ押し出しを献上するなど精彩を欠いたが、2年目の2004年シーズンに腕を若干下げる投球フォームに変更し、初先発も含め先発3試合、シーズン通して全16試合に登板。
2005年シーズン開幕後、「りょうたろう」という名前の読みを覚えてもらいたいという理由で登録名を「龍太郎」に変更。5月26日の対福岡ソフトバンクホークス3回戦では7回途中2失点の好投で初勝利を挙げる。
2006年4月27日、山北茂利との交換トレードで、南竜介と共に千葉ロッテマリーンズへ移籍。移籍後も登録名は「龍太郎」のままプレーをした。
2007年にロッテでは一軍出場が無いまま戦力外通告を受ける。その後12球団合同トライアウトに参加するがオファーはなく現役を引退。
引退後
会社員を経て、工事関係の仕事に就いている。また少年野球チーム「横浜保土ヶ谷ボーイズ」のコーチを経て[3]、「横浜みなとみらいポニー」の投手コーチを務めている[4]。
詳細情報
年度別投手成績
記録
背番号
- 27 (2003年 - 2006年途中)
- 51 (2006年途中 - 2007年)
登録名
- 土居 龍太郎 (どい りょうたろう、2003年 - 2004年)
- 龍太郎 (りょうたろう、2005年 - 2007年)