浅井良

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国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1979-07-19) 1979年7月19日(46歳)
身長
体重
176 cm
80 kg
浅井 良
現役時代
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 神奈川県横浜市戸塚区
生年月日 (1979-07-19) 1979年7月19日(46歳)
身長
体重
176 cm
80 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 外野手捕手
プロ入り 2001年 自由獲得枠
初出場 2002年5月1日
最終出場 2013年9月21日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴

浅井 良(あさい りょう、1979年7月19日 - )は、神奈川県横浜市戸塚区出身の元プロ野球選手外野手捕手)、野球指導者。

プロ入り前

神奈川県横浜市戸塚区出身。桐蔭学園高校では2年の途中まで捕手を務め、秋季神奈川県大会準決勝で敗退して以降は投手に転向し、川岸強に代わってエースとなった。3年夏には第79回全国高等学校野球選手権大会に出場して1回戦で如水館高校に勝利したが、2回戦で西京高校に延長10回の末敗れた。高校時代の同級生には川岸強や後に阪神でチームメイトとなる平野恵一がおり、平野とは3年間同じクラスだった。

高校卒業後は東京六大学野球連盟法政大学に進学して捕手に再転向し、持ち前の強肩で盗塁阻止率8割超を記録したが、「盗塁阻止率記録なしが目標」とし、盗塁は不可能と思わせて盗塁企図自体をさせないことを目指していた。大学での初安打本塁打など思い切りのいい打撃でも頭角を現し、4年秋のリーグ戦では本塁打と打点の二冠王を獲得し、大学最後の打席でも本塁打を放った。リーグ戦通算69試合出場、197打数56安打・打率.284・3本塁打・36打点。ベストナイン2回。

2001年のプロ野球ドラフト会議で阪神に自由獲得枠で指名され入団。大学の先輩でバッテリーを組んでいた安藤優也と同期入団となり、再びチームメイトとなった。

プロ入り後

大学時代に評判だった強肩は制球難で悪送球を繰り返し一軍に定着できなかった。2005年から打撃を生かすために外野手にも挑戦。2006年は相性の良い江草仁貴が先発する試合を中心に捕手としてスタメン起用される機会も増え、矢野輝弘に次ぐ第2捕手となった。

2007年狩野恵輔や新人の清水誉が開幕一軍に入り、二軍でのスタートになった。矢野の故障で交流戦中に一軍昇格し、外野手としてスタメン出場することもあったが捕手を務めることはなく、二軍でも外野手や一塁手としての出場がほとんどだった。同年オフ、本格的に野手転向することを宣言。

2008年から正式に外野手登録となったが、緊急時の第3捕手としても期待され[1]、シーズン初出場となった4月6日の対読売ジャイアンツ戦では捕手として途中出場した。相手先発投手サウスポーの時に時折右翼手として、赤星憲広が首痛や不眠の影響でスタメン落ちした際には中堅手としてスタメン出場した。6月7日の対福岡ソフトバンクホークス戦では杉内俊哉から同点適時打を放った。

2009年は赤星の代わりに中堅手、桜井広大が負傷で離脱した際には右翼手を務め、9月16日の対巨人戦では4安打を放ち、二塁打が出ずサイクル安打を逃した[2]。同年は、打撃面でも自己最高成績を記録した。

2010年には、金本や桜井の不調で中盤以降はスタメンや守備固めで出場することが多くなった。主に中堅手として出場したが、9月9日の対中日ドラゴンズ戦では野手を全て使いきった状態でクレイグ・ブラゼルが退場処分を受けたため、代わりの一塁手として入った[3]。同年は自己最多の85試合に出場した。

2011年は、前年から一転、絶不調に陥った。出場試合数は63試合であったものの、打率.138・打点5の成績に終わった。

2012年も、前年よりも幾分持ち直し、出場試合数も前年とほぼ同じであったものの、打率.211に終わった。シーズン終了後、阪神に新加入する福留孝介が背番号8を着用することとなったため、その年限りで阪神を退団して古巣のオリックス・バファローズに復帰することが決まっていた高校時代の同級生である平野からの薦めもあり、平野が付けていた5に変更された[4]

2013年は出場試合数が46試合に減少し、打率.220・1本塁打・5打点だった。10月21日に球団から戦力外通告を受け[5]、第1回12球団合同トライアウトに参加する[6]も獲得球団は現れず、12月31日現役を引退した[7]

現役引退後

2014年10月31日、大阪ミナミ心斎橋)にBAR「AZAS'(アザス)」を開業した[8]。のちに北新地に移転[9]

飲食業経営の傍らで「ブリスフィールド東大阪 スポーツアカデミー」の打撃兼捕手コーチを務め、少年野球指導も行っている[10]

2022年10月17日、関西独立リーグ(さわかみ関西独立リーグ)の06BULLSで2023年(同年からチーム名は「大阪ゼロロクブルズ」に変更)からヘッドコーチに就任することが発表された[11]。2シーズン務め、2025年1月6日に前年シーズンをもって退任したことが発表された[12]

選手としての特徴

初球や早いカウントから仕掛ける思い切りの良いスイングが特徴。反面、四球を選ぶことは少なく、IsoDは極端に低い傾向にある。

安打数のうち二塁打・三塁打の割合が比較的多い中距離打者である。

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
2002 阪神 3263593122001440010201171.203.242.237.479
2003 37363448001115101000171.235.257.324.581
2005 354948812301183101000061.250.250.375.625
2006 4059565152022330100201103.268.305.411.716
2007 5981200021001000020.250.250.250.500
2008 315248312310174113010080.250.265.354.619
2009 5010796113022448133170301282.313.340.500.840
2010 851661481944803611443411132421.297.352.412.764
2011 637565694001350121601150.138.219.200.419
2012 6286766163001990052300152.211.235.250.485
2013 465550511101155002020173.220.264.300.564
通算:11年 486757688711712831224166107274303815714.249.286.350.638

年度別守備成績


捕手一塁手外野手
試合刺殺補殺失策併殺捕逸守備率企図数許盗塁盗塁刺阻止率試合刺殺補殺失策併殺守備率試合刺殺補殺失策併殺守備率
2002279110322.9711266.500--
20038172100.950431.250--
200511322100.971211.500-110001.000
200622934212.980651.167--
2007--220001.000
20082100001.000-16151011.000
2009--34410001.000
2010-121001.00076105230.973
2011--58332011.000
2012--47380001.000
2013--31291001.000
通算 7023418734.973121001.000264268632.989

表彰

記録

背番号

  • 12 (2002年 - 2006年、2023年 - 2024年)
  • 8 (2007年 - 2012年)
  • 5 (2013年)

登場曲

出演番組

テレビ

脚注

関連項目

外部リンク

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