土手町通

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土手町通(どてまちどおり[2])は、京都市の南北の通りの一つ。北は丸太町通から、南は七条通まで至る。途中、夷川通上ノ口通との間で中断し、通りは二つの区間に大きく分断される。そのため全長は約700メートルと短い。

全ての区間において北行きの一方通行となっている。

通りの名の「土手」とは、豊臣秀吉京都に築いた御土居のことである。御土居は洛中の防衛や鴨川の氾濫時に堤防となることを目的として1591年天正19年)に市街地を囲むように建設された。ところが江戸時代に入り、市街地の人口が増加し町が発展していくと、御土居の存在は邪魔になった。加えて1670年寛文10年)には鴨川の氾濫を防ぐ新たな堤防(寛文新堤)が完成し、市街地東部における御土居の役目は失われた。最終的に鴨川西岸の御土居は1708年宝永5年)に撤去され[3]、その跡にできたのがこの土手町通である。

丸太町通夷川通の区間は京都御所の東南に位置し、周辺には近衛家鷹司家などの公卿屋敷が存在した。明治時代には舎密局が土手町通夷川に開局している[3]。この区間の沿道には旅館や厚生施設、住宅が立ち並ぶ。

夷川通で通りは一度絶たれるが、東にある細道を抜けると一筋南の二条通木屋町通に接続する。これを南下していくと上ノ口通以南で西隣に通りが再び出現する。

上ノ口通七条通の区間は東本願寺の別邸、渉成園の東に位置する。江戸時代、周辺は東本願寺の寺内町であり、寺に出入りする業者や御用商人が並ぶ町であった[3]。沿道には住宅のほか、京人形店も店を構える。

沿道の主な施設

交差する道路

脚注

関連項目

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