坂本雄一
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北海道旭川市出身。北海道旭川東高等学校を経て[3]、1991年3月に防衛大学校(第35期)を卒業し、陸上自衛隊に入隊。高校の同級生に北海道上富良野町長の斉藤繁がいる[3]。
入隊後、第9普通科連隊、第3普通科連隊、第28普通科連隊などの所属を経て、2013年12月には第3普通科連隊長に就任[1]。
2017年3月、陸将補に昇任し、中部方面総監部幕僚副長に就任[1]。2019年8月、陸上総隊司令部の運用部長、2021年3月に第12旅団長を務め、防衛政策の立案や部隊の運用にかかわるポストを歴任した[4][5]。2023年3月には陸将に昇任し、第8師団長に就任した[6]。着任の翌日に行われた着任式では、「厳しい安全保障環境のなかで戦い方そのものが変化している。変化や進化を意識して、挑戦することを心がけてほしい」と隊員に訓示していた[4]。また、着任式のあとの記者会見では、「地域に信頼され、愛される第8師団に育成していきたい」と抱負を語っていた[4]。
同年4月6日午後3時46分頃、宮古島の上空から地形を確認するためUH-60JAに搭乗し、宮古島分屯基地を離陸、午後3時56分、宮古島周辺を飛行していたところ、機影がレーダーから消えた。周辺海域で機体の一部とみられる浮遊物や油が見つかったため、防衛省は事故と判断し、海上保安庁とともに機体を捜索している。同機には坂本の他、師団ナンバー3にあたる師団幕僚長など幹部3人[7]、パイロット2人、整備員2人を含む隊員計10人が搭乗しており、全員が行方不明となった[8]。捜索により、4月21日までに事故機に乗っていた10人のうち6人が見つかり、引き揚げた5人の死亡が確認された[9]。防衛省は同日、5人の遺体のうち1人の遺体が坂本師団長と確認されたと発表した[10]。55歳没。事故から1年を過ぎた2024年4月15日号の官報において、2024年4月6日付で旭日中綬章追贈が告示された[2]。
勤務歴
- 1991年(平成3年)
- 3月:防衛大学校(第35期)を卒業、陸上自衛隊に入隊(第72期一般幹部候補生)
- 9月:第9普通科連隊[1]
- 1992年(平成4年)3月:3等陸尉に任官
- 1995年(平成7年)3月:第3普通科連隊[1]
- 1998年(平成10年)3月:陸上自衛隊幹部候補生学校[1]
- 1999年(平成11年)8月:陸上自衛隊幹部学校付(指揮幕僚課程)[1]
- 2001年(平成13年)8月:第28普通科連隊[1]
- 2003年(平成15年)
- 2005年(平成17年)
- 2006年(平成18年)
- 2010年(平成22年)
- 2011年(平成23年)
- 2013年(平成25年)12月18日:第3普通科連隊長[1]
- 2015年(平成27年)8月4日:陸上幕僚監部監理部広報室長[1]
- 2017年(平成29年)3月27日:陸将補に昇任、中部方面総監部幕僚副長(防衛)[11]
- 2019年(令和元年)8月23日:陸上総隊司令部運用部長[12]
- 2021年(令和3年)3月26日:第12代 第12旅団長に就任[13]。
- 2023年(令和5年)
- 2024年 (令和6年)
- 4月6日: 旭日中綬章受章 (死後叙勲)