宮古島沖陸自ヘリ航空事故

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概要 調査中
乗員数 10
陸上自衛隊 UH-60JA
2009年に撮影された事故機(43106)
事故の概要
日付 2023年4月6日
概要 調査中
現場 日本の旗 日本沖縄県宮古島市
乗員数 10
負傷者数 0
死者数 10(全員)
生存者数 0
機種 UH-60JA
運用者 陸上自衛隊
機体記号 43106[注 1][1][2]
出発地 日本の旗 宮古島分屯基地
目的地 日本の旗 宮古島分屯基地
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事故機の航路図。図中の赤丸は離陸した宮古島分屯基地、×印はレーダーからの消失地点[3]

宮古島沖陸自ヘリ航空事故(みやこじまおきりくじヘリこうくうじこ)は、2023年(令和5年)4月6日沖縄県宮古島市沖で発生した陸上自衛隊多用途ヘリコプターによる航空事故。

海岸地形に対する航空偵察のため、航空自衛隊宮古島分屯基地を離陸した第8師団 第8飛行隊熊本県高遊原分屯地)所属のUH-60JA多用途ヘリコプターが宮古空港から北西約18kmの洋上空域でレーダーから消失した[4][5][6]

機体には師団長を含む複数の陸上自衛隊幹部が搭乗しており、事故により複数の幹部が一度に一時不在となった[7]

2023年4月6日15時46分、第8師団第8飛行隊所属のUH-60JA多用途ヘリコプター(機体番号:43106[注 2][2][8] 、以降「事故機」とする。)は、海岸地形に対する航空偵察(近日の中国海軍の活動とは無関係の通常任務)のため操縦士2人、整備員2人、偵察任務に当たる隊員6人(第8師団長の坂本雄一陸将宮古警備隊長の伊與田雅一1等陸佐を含む)の10名[注 3]が搭乗して航空自衛隊宮古島分屯基地を離陸[4][9][6][10][11]。その際、ヘリ側から航空管制に「離陸した。海岸線を飛行する」その後、「宮古島の管制圏を出る」旨の交信があり、管制官は「次の周波数で下地島の管制官とコンタクトせよ」と別の管制圏への変更を指示、ヘリ側は「了解」と返していた(これらは通常交信)[12][13]

15時51分30秒頃、宮古島市立狩俣小学校の東向きに設置された防犯カメラに、正常に飛行する事故機が撮影されていた[14][15]

15時53分17秒頃、宮古島市立池間小中学校の北向きに設置された防犯カメラに、正常に飛行する事故機が撮影されていた。この2つの学校防犯カメラに映ったものを映像解析した結果、高度195mほどを237km/hほど(UH-60JAの性能上の巡航速度は約240km/hであり通常の飛行速度)で飛行していたとみられる。高度としては航空法に定められた最低安全高度より45mほど高い値となる。また、この2件の映像を確認した磯部晃一元陸将(現役時ヘリパイロット)は、「飛行に支障があるような飛び方ではなく、通常の飛行をしていたように見える」と述べた[14][15]

15時54分頃、下地島の管制官から「下地島空港航空管制圏に入ったら、下地島管制の周波数にコンタクトせよ」との交信に、ヘリ側が「了解」と答えた(これらは通常交信)。これが最後のやり取りとなり、異常を伝える交信はなかった[12]

この交信とほぼ同時刻に、池間島の沿岸を300から450mほどの高度で飛行している所を米国人観光客に撮影されており、この時点ではまっすぐに飛び音も正常であり異状は見られなかった[5][10][16]

同日15時56分、宮古空港から北西約18kmの洋上空域でレーダーから消失。消失直前まで事故機はほぼ予定通りのルートを150mほどの高度で飛行しており、緊急事態を知らせる無線連絡や、隊員の脱出時に発信されるトランスポンダの緊急事態信号(スコーク7700)および救命無線機[注 4]の信号は確認されておらず、事故当時の視程は10km以上で天候は晴れ、南の風約7m、波高約1m、積乱雲の顕著な発達はなくも検知されていなかった。また、現場周辺海域の水深は浅いところで20m、深いところで200mである。なお、現場周辺や現場海域を航行する船舶に対する被害は確認されていない。最後の高度は航空法に定める安全飛行高度の下限値であり、法規的にも問題はなく陸上自衛隊ヘリコプターとしても普段通りの飛び方であった[4][18][5][6][19][20][21][22][15]

事故機は2023年3月下旬以降、50時間飛行した機体が対象の特別点検を受け、安全確認飛行をした結果、機体に問題ないと判定されており、また回収された機体側面のスライドドアについて調べたところロックしてあったことが判明し、緊急時に開けようとした形跡がなかった。異常が起きてから墜落まで極めて短時間だった可能性が高く、最後の交信からレーダーから消失するまでの約2分間に急激な異常事態に陥り墜落した可能性がある[12][5]

4月13日夜までに、事故機の破片や部品が累計22個発見回収されており、内訳として事故地点南側の伊良部島沿岸や沖合で15個、同北側の海域で7個が回収されている[23][24][25]

4月13日、掃海艦えたじま」がソナー捜索中、池間島イラビジ南東沖の水深100mほどの海底に機体らしきものを探知。水中カメラ(ROV)を使って確認し、機体の主要部分とみられる物体を発見した。機体らしきものは大きく破損しており、その内部や付近には複数の人らしきものも確認した[23][26][24][27][28]。同16日8時30分ごろ、潜水艦救難艦「ちはや」から潜水した飽和潜水員が伊良部島北側の水深106mの海底で事故機胴体部分および要救助者(搭乗員らしき)5名を発見[29][30][31]。同18日にはもう1人が発見された。その後5人は引き上げられたが、全員の死亡が確認された[32]

4月20日、森下泰臣陸上幕僚長から坂本雄一陸将、伊與田雅一1等陸佐の後任人事に着手し、4月21日付で第11旅団長の青木伸一陸将補陸将に昇任の上で第8師団長に補職、第5施設群長の比嘉隼人1等陸佐が宮古警備隊長兼宮古島駐屯地司令に補職することが公表された[33][34]。同21日、防衛省人事が発令され[注 5]、消息不明の坂本雄一陸将は西部方面総監部付、伊與田雅一1等陸佐は第15旅団司令部付とする人事が公表された[35][36]。同24日、防衛省人事が発令され、庭田徹1等陸佐の後任として、西部方面総監部付の末継智久1等陸佐が第8師団司令部幕僚長に補職する人事が公表された[37]

死亡確認から4月25日までの間に、海中から引き揚げられた5人の身元について、坂本雄一陸将、第8師団司令部幕僚長・庭田徹1等陸佐、第8師団司令部第3部防衛班長・神尊皓基3等陸佐、第8飛行隊所属の山井陽3等陸佐、内間佳祐3等陸尉と判明した[38][39][40]

機体の引き上げについて民間サルベージ会社で実施することが決定され、4月21日に事業者選定の入札が行われた結果、深田サルベージ建設のグループ会社であるオフショアエンジニアリングが10億円余で落札した。同28日午前、サルベージを行うオフショアエンジニアリングの作業船「新世丸」が現場付近海域に到着。同29日から作業を行った[41][42]

5月2日に機体主要部が引き上げられるまでフライトデータレコーダー(以後「FDR」とする。)が回収できていなかったが、これは陸上自衛隊ヘリコプター特有の理由によるものである。洋上を飛行することが多い海上・航空自衛隊ヘリコプターの場合、FDRは機外に取り付けられており、特異な衝撃を検知するとそれ自体が自動で射出されて機体と分離し、事故時に発見を容易にするためのストロボ発光と位置信号を発する機能がついている。しかし陸上自衛隊ヘリコプターの場合は陸上の飛行が多いため、事故時に小さなFDRが分離するとストロボなどがあっても原野や森林ではむしろ捜索しづらく、また敵に持ち去られやすくなること等を鑑みて機内に設置されており、それ自体には位置発信機能もない。これらの理由から、機体ごとを引き揚げなければ回収はできないと思われる[43]

また、事故機は緊急用フロートを装備していなかったことも判明している。同フロートは航空法で「島のない水上を30分以上飛行するか、同じく185km以上飛行するヘリコプター」に装着義務がある。官公庁のヘリとしては、海上自衛隊海上保安庁は全機に、陸上自衛隊は沖縄地域に配備されている機体に装備しているが、第8師団(九州地区)の機体は、通常運用範囲に航空法に定める規定を超える離島などがないため装備していなかった。なお、今回の飛行も、飛び石式に島を経由して飛行しているため、法規定的に問題はない[44]

海底の捜索は難航したとされる。これは現地の地形によるものであり、酒井良海上幕僚長は「一般的な砂泥の海底であれば比較的簡単に探知ができるが、現地は岩やサンゴ礁による複雑な海底地形であり、海図に載っていない微細な起伏が多い。捜索に当たっている艦艇のソナーは高性能であるゆえに、これらの海図にない起伏を無数に探知しており、機体と同規模の海底突起に絞っただけでもかなりの数になる。これらを一つ一つ確認しているため、どうしても時間がかかる」旨を述べている[45][46][47]

攻撃の可能性については事故直後から取り沙汰されていたが、防衛省幹部はこれを否定している。その理由としては、ドローンを含む兵器により攻撃を受けたならば大音量の爆発音が生じるが、事故直前に飛行音を聞いたり機影を見た住民等が複数いるにもかかわらず爆発音の証言はなく、自衛隊などのレーダーは敵性の飛翔体を捉えていない。また、電磁波による攻撃であれば宮古島の航空管制や民間通信にも影響が生じるが、そのような報告や証言がない。加えて、兵器による撃墜であれば機体は四散し大量の浮遊物が生じるが、実際に発見されているのは機体のなかでも外側に位置する外れやすい部品ばかりで、そのうち大きなドアなども原型を留めていること等が挙げられている[48]。 国会でも、野党議員がこの事故を取り上げ、「中国の軍艦が直前に沖縄本島と宮古島の間を通過していることと関連性は絶対にないか」という問いに対して浜田靖一防衛大臣は「今のところ私への報告には関連性の情報は入っていない。今、確たるものを話すことは差し控えたい」と述べるにとどめた[49]。防衛省の大和太郎統合幕僚監部総括官は、「中国海軍艦艇の行動はいずれも6日の未明であり、事故の時間帯と大きく乖離しているため関連性があるとは考えられない。この事故に関連した中国軍の動きも確認できていない。」とした[50][11]。 また、福山隆元陸将は「既存兵器での撃墜はレーダー探知がないことや爆発音の証言がないことからあり得ない。しかし、何らかの新兵器で撃墜された可能性は否定できない。ただし、高級将校搭乗機を撃墜したとの事実が判明した場合に中国側が被る不利益が大きすぎるので、可能性はほぼない。」とした[51]

陸上自衛隊は事故調査委員会を設け、事故直後の4月6日夜に急患輸送任務等の災害派遣を除き、同型機を飛行停止とすると発表した。なお、海上自衛隊および航空自衛隊で運用されている同系統機は事故機種と仕様が違うため問題はなく、運用を続けるとした[18][52][10]。その後、6月30日から訓練飛行の一部を再開すると発表した。当面は配備先の飛行場でのホバリングや離着陸の訓練を実施する[53]

2024年1月8日、陸自は能登半島地震の災害派遣にUH-60JAを投入することを発表。当初より、災害派遣等の必要があれば投入する旨は発表されていたが、実際に投入されるのは初。陸自は「道路網等の寸断、被災地域が沿岸部に集中している特性から、航空輸送等の任務において狭い地域にも着陸ができる中型ヘリコプターの運用が必要な状況であり、連続航続時間や積載重量が大きいUH-60JA は、輸送艦を活用した海上からの物資輸送において適切と判断した」旨を説明。この決定を受け、同機は明野駐屯地から航空自衛隊小松基地まで移動した。早ければ9日以降、シーべーシング中の海上自衛隊所属輸送艦おおすみ」に展開し、災害派遣任務に投入される[54]

経過

脚注

関連項目

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